#829 ローコンテクストな状況で安易なキャッチフレーズに流されないようにしたい   10 years ago (magician) Document
これはあくまで、私の印象で、たとえ話の題材に過ぎない事を注意して聞いて欲しいのですが、例えば昭和の日本人と現代の日本人を比べると、明らかにコンテクストに関する状況が変化してきていると思います。
例えば、ある種の狭いコミュニティの中では高文脈(ハイコンテクスト)な状況が生まれますので、名付けの重要性にはなかなか思い至らなくなる。名付けというのは、それまでコミュニティの中で積み上げてきたコンセプトの組み替えになるので、少なからず抵抗も生まれます。
一方、低文脈(ローコンテクスト)な状況、つまり多くの不特定多数の聴衆にアピールするためには、分かりやすい名前やキャッチフレーズが重要になる。例えば、「造反有理」などは20世紀に生まれたスローガンの中でも最大級ものものです。ただ、動員された多くの人はその文脈を理解せずに(あるいは理解しないことを狙ったとも言えますが)、大変な悲劇を引き起こしてしまった。
  • #697 名前と文脈の表裏一体構造
私のイメージでは昭和の日本人社会というものは、ハイコンテクストな社会だったと思います。みんなが同じ教育を受け、同じTVを見る。皆が1つの流行に夢中になる。巨人・大鵬・卵焼き-Wikipedia等が良い例だと思います。
ですが、現代の日本人社会は、明らかにローコンテクストだと思います。個人個人が多種多様な経歴で育ち、多種多様な価値観、ライフスタイルを持つ。グローバル化の流れ。
個人的には、ハイコンテクストな状況でこそ、一言のキーワードのみで誤解無く、意思疎通が叶うと考えます。(熟年のおしどり夫婦間の「アレ取って」で醤油を渡してくれる奥様などはこの最たる例です)
逆に、ローコンテクストな状況では、安易なキャッチフレーズは誤解を招くので、使用を控えるべきだと思うのですが、現実には逆のようですね。ローコンテクストな状況でこそ、安易なキーワードがもてはやされる。

少し、話が変わりますが、例えば、ツイッターの一言を取り上げて、ブログで議題にしたりしますよね。その時に、そのツイッターの作者の過去のツイッターやフェイスブック、ブログなどを一緒に確認する人はどの程度いるのでしょうか? 案外、作者本人は、過去のウェブ上の発言の蓄積というコンテクストを背後に、その一言をつぶやいているのかもしれません。ですが、現実にはほとんどの人々は一々過去のログを読み直して確認したりはしないと思います。
このことには、いくつかのポイントがあると思います。
  1. 一言だけを切り取られて、誤解されても別にいいやと思っている。
    1. ソーシャルメディア社会をある種軽やかに踊っていく術を身につけた人々。
  2. 普段から付き合っている相手(=ハイコンテクストな状況にある相手)にだけ真意が伝わればいい、と考えている。
    1. (ローカルを大事にする。地域密着型。等と言った、発想にも育ちそうな気がします)
  3. そもそも意図の誤解、とか深いことを考えていない。
    1. 安易なキャッチフレーズに釣られる人は、そもそもそこに正確な価値を求めていない。お手軽なら別に多少間違ってもいいや、そもそもそんなに大事なことでもないし。時間の方が貴重。
  4. 『最初から受け手が文脈を理解しないことを狙った』
    1. 受け手側が、そもそも文脈を理解しないで使えるお手軽さを甘受したがっている。文脈を捉える作業を面倒だと考えている。更に言えば、文脈を理解したくない、甘い言葉に騙されたいという、怠惰な誘惑に自覚的に負けている。
ここでは、ハイコンテクストな社会、ローコンテクストな社会、それぞれの是非について問う気はありません。ただ、私は少なくともPiggydbに関しては、正確な情報、コンテクスト、等を理解する労を惜しまずに使っていきたいと思います。
 
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