#The Piggydb Way

ここでは、Piggydbというソフトウェア、あるいはその開発を通して考えていること、実験しようとしていることについて書いていこうと思います。基本的には取り留めのない文章になる可能性が大ですが、最終的には、なぜPiggydbが他のアプリケーションとは一線を画するのか、その考え方の枠組み的なものを提示できればいいなと思っています。

Piggydbとは?

Piggydbは、ブログやTwitterを書くような感じで手軽に情報を入力しつつ、必要に応じて情報同士をつなげたり、重要な情報に「重み付け」を行ったりしながら、知識やアイデアを育てるための、柔軟性の高いメモ帳のようなアプリケーションです。
基本的な構成要素は、「フラグメント」と呼ばれる情報の単位と、そのフラグメント同士をつなげる「つながり」の2つだけです。もう一つ、情報を分類するための「タグ」がありますが、これもPiggydbではフラグメントの一種として扱われます(タグとして利用されるフラグメントを「タグフラグメント」と呼びます)。
機能的な説明は以上で済んでしまう程にシンプルなものなのですが、これだけだと、それが何の役に立つのか、どのような可能性を秘めているのか、なかなか分かりづらいと思います。将棋やチェスのルールをいくら説明しても、その奥深さを伝えるのは難しいように、ここで簡潔に説明するのはなかなか難しいです。そこで、時間をかけていろいろな実例を示したり、周辺的なトピックを紹介しながら、少しでもその奥深さを伝えることができればと思い、この「#The Piggydb Way」という連載を始めることにしました。

EvernoteとPiggydb → ...

何かを書かなきゃと思いつつも時間は過ぎていく今日この頃です。
前回のエントリを書いた後に考えていたことは、「PiggydbはEvernoteの代替にはなり得ません」と書いたからには、その違いを説明しなきゃなあ、ということでした。そこでほとんど使ったことがないEvernoteについて何も知らないで書くのは問題だと思い、ある程度調べてからにしようと思ったのがそもそも間違いでした。
TODOリストに「Evernoteの調査」と書いたはよいものの、そんな興味もないタスクにやらなきゃという気が起こることもなく、リストの奥深くに埋没しきって完全に見えなくなったところで、ようやく、そんな面倒なことはスキップ、スキップ!と開き直ることができたのです。
そもそも、この件について自分が言いたいことはそれほど大したことでもないのですよね。
Evernoteというのは、使っていない私が断言してしまいますが、野口悠紀雄氏が言うところの、
「自分では格別の整理作業はせず、データを投げ込むだけ。一定の時間がたつと、データが徐々に蓄積され、気づいた時には全体がデータベースとして機能している」というシステム -『超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー
を理想的に実現したものだと言ってよいわけですよね?
野口氏は著書『「超」整理法』の中で、情報を探しやすくするために分類するのは不毛であると宣言しています。そこで「押出しファイリング」、すわなち、時間軸をキーとした検索を提案されているわけですが、これは紙の書類の話で、IT時代の現代だと、情報を探しやすくするというのはコンピュータに任せた方が良い、ということなります。
その行き着く先がEvernoteのようなサービスだと、まあ私は解釈しているわけなのです。
それとPiggydbが何が違うかと言えば、Piggydbは分類・整理をまあ奨励しているわけです。しかし、それは情報を探しやすくするためではありません。分類・整理を通じて利用者が学習するためです。なのでその分類・整理に一貫性を求めません。そして、その学習を高度なものするために、他のソフトウェアにはないような分類・整理のための機能と方法論を用意している、あるいは今後開発していきたいと考えているわけです。

なぜPiggydbなのか?

知的生産という行為が日に日に重要になっていく昨今、そのための道具を日常的に利用している人はとても多いと思います。意識的にEvernoteのようなサービスを使わなくても、Gmailを利用すれば日常的に入ってくる情報が勝手にデータベース化されますし、TwitterやFacebook、ブログなどを利用する過程でも、知らず知らずのうちに、情報を摂取し、加工し、発信するというサイクルの中で知的生産の領域に足を踏み入れることになります。
こういったサイクルの中で、多くの人が習熟するのは「道具の使い方」です。アプリケーションやWebサービスのような道具の使い方はもちろんのこと、そこで流通する「言葉」も、ある種の道具です。あるサービスについて詳しかったり、流行の言葉や決まり文句を適切に使いこなすというのは、ある意味、分かりやすい物差しです。その延長には「専門家」と呼ばれる領域もあります。
しかし、これからの世界で重要になっていくのは、道具の使い方に詳しくなることではなく、いかに新しい道具を作るか、ということではないか、そのような考えがPiggydbの背後にはあります。
特に日本においては、与えられた道具をうまく使いこなすこと、道具自体を改良することについては、それなりの実績がありますが、全く新しい道具を生み出すということについては、苦手としているように感じます。
新しい道具を生み出す原動力は、人間に自然に備わっている「類似性を発見する力」です。本来は無関係だと思われていた事象の間に類似性を発見し、それを新しいコンセプトとして提示する。その類似性に新規性があり、かつ射程が広ければ広いほど、そのコンセプトには価値があります。そういったコンセプトの発見を補助するためのツール、それがPiggydbです。

創造性の源泉 - 類似性の発見

もし我々が世界のあり方をそのまま認識でき、その情報を他者に欠落なく伝達できるとしたらどうでしょうか。
そのような世界では不可知なことは存在し得ず、誤解、というよりそもそも解釈というものも存在しないでしょう。よって、文学や芸術が生まれる余地もありません。
しかし、現実には、身体的、物理的な制約があって、そのようなことにはなっていません。たとえば、我々は情報を脳という限られた場所で処理しなければならないので、何らかの形で情報を圧縮する必要に迫られます。
そのような制約から、我々は「類似性を認識する能力」を手に入れたのではないか、これは私の勝手な想像ですが、そのようにとりあえずは考えることにしてみます。
類似性を認識することによって、似たようなものを「同じもの」として扱うことができるようになります。たとえば、我々が「りんご」という場合、その対象は数え切れないほど無数にあります。りんごの個体ひとつひとつは微妙に形も違いますし、中には色が全く異なるものもあります。それでも、我々はそれらを同じ「りんご」として認識し、日常的なコミュニケーションにおいて誤解が発生することもほとんどありません。ここで情報はかなり圧縮されていることが分かります。
もちろん、圧縮することによる弊害もあります、我々は日常的に誤解や解釈の違いから来るディスコミュニケーションを経験しています。運が悪ければそれが争いの元になったりします。
しかし、一方で圧縮された情報が多くの人を感動させたり、特定の人を救ったりすることもあるわけです。
この、どのように情報を圧縮するか(圧縮したものをここではコンセプトと呼んでいる訳ですが)、そしてそれがどの程度他者に影響を与えたか、それが創造性の尺度になるのではないか、とりあえずここではそのような仮説を提示しておくことにします。

コンセプト指向発想法

Piggydbで提案している知的生産の方法を暫定的に「コンセプト指向発想法」と呼ぶことにします。
コンセプト指向発想法とは、コンセプトを中心に知識を組み立てようという考え方です。ここで言うコンセプトとは、辞書やWikipediaの項目に相当するモノやコトのことです。つまりコンセプト指向では、自分(あるいはチーム)なりの辞書を構築してくような感じで集めた情報を整理していきます。
コンセプト指向のメリットは大きく分けて二つあります。一つは、情報量が増えて知識が複雑になっても、自分にとって重要なコンセプトとその関係が自然に浮き上がってくるため、従来の方法よりも「1) 見通しの良い知識ベースを構築できる」ということ。もう一つは、既存のコンセプトによる情報の整理(カテゴリー)よりも、新しいコンセプトの発想・研究に力点を置くことによって「2) 情報管理がよりクリエイティブなものに」なるということです。
このフラグメントには「コンセプト指向発想法」で重要になってくるコンセプトを随時ぶら下げていきます。この考え方自体もコンセプト指向で発展させようという試みです。

コンセプト → ...

コンセプトに相当する日本語は「概念」ですが、いずれも辞書や辞典の説明で納得するのは難しい抽象的な「概念」です。
ここでは、ヒトが生来的に認識することのできる任意の「類似性」をコンセプトと呼ぶことにします。分かりやすく言うと、名指しできるもの全て、辞書やWikipediaの項目として紹介されるような、モノやコトのことです。
Piggydbは、情報の蓄積と編集を通して、ユーザーが新しいコンセプトを生み出すことを助けるような仕組みを構築することを一つの目標としています。
以下、Wikipediaより:
ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。
その概念を言葉で表現されたものを「名辞」と呼び、言語の構成要素として、それを組み合わせ、述べ表し、判断・認識可能なものとして現実世界をとらえて表現する。人間はほぼこのような概念化した名辞によって、この世の中のあらゆることを理解したり、表現したりしている。
また概念は、それを提議・提唱する者の心性、視点、立場、精神的なポジション・在り方を反映する。
コンセプトは、それらを敷衍し同様に扱うことによって、個々の物事・出来事の間の違いを省き、物事・出来事の間に共通する大要、要約、見解、イメージ、つまりは「普遍的概念」となる。このコンセプトは、実在の出来事や事件、物事の関係を種類に分け、分類化し、カテゴライズし、クラス分けをするのに貢献する。
概念は人間の精神内部に存在する何かであり、抽象的、普遍的なものである。精神外部の世界に存在するものや、出来事や、それらの関係について概念が存在する。ひとつの概念は個々の事物というよりも、事物の集合に対して存在する。
概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。

みにくいあひるの子定理

人間の認知パタンから独立した客観的な性質をことごとく選んでそれらを等価とみなすと、すべての対象は同じぐらい似ていることが証明できる。あひると白鳥は、2羽の白鳥が似ているのと同じくらい似ているという意味で、これを「みにくいあひるの子定理」という。渡辺慧氏により厳密に証明された。したがって、すべての分類は、本来的に恣意的なものである。あるいは、分類とは、世界観の表明にほかならない。『「超」整理法―情報検索と発想の新システム

KJ法 → ...

KJ法(-ほう)は、文化人類学者川喜田二郎(東京工業大学名誉教授)がデータをまとめるために考案した手法である。データをカードに記述し、カードをグループごとにまとめて、図解し、論文等にまとめてゆく。KJは考案者のイニシャルにちなむ。共同での作業にもよく用いられ、「創造性開発」(または創造的問題解決)に効果があるとされる。(Wikipediaより)
収集した情報をグルーピングしてコンセプトを作る手法。特に「異質のデータを統合する」ときに新しいコンセプトが生み出される、とする。発見したコンセプトを論理的に納得できるよう、空間的に配置し、それを元に文章を作成するのが最終目的である。
Piggydbの手法は基本的な部分でKJ法と同等であると考えられる。KJ法はカードを利用するので情報量に限界があるが、Piggydbはコンピュータソフトウェアで実現されたデータベースなので膨大な情報量を材料にでき、かつ情報の見せ方も柔軟に選択できる。

事後的に発見されるアイデア → ...

アイデアとその実現を別々に考える、というのは、おそらく今でも多くの人にとって自然な考え方でしょうし、特に組織においては支配的な考え方だと思います。まずブレインストーミングなどでアイデアを出すフェーズがあり、そのアイデアに対して評価を行い、その後に、良さそうだとされたアイデアの実現に向けて行動を開始する。
しかし、実際はそのようなやり方が機能することはほとんどなく、組織で生み出されるものは概して流行を追いかけるものばかりだったりします。
現代において新しくて価値のあるものを生み出そうとするなら、ほぼ例外なく、探索的な手法を取らざるを得ないのではないかと思います。トライアル&エラーで常に学習しながら軌道修正していかざるを得ない。その探索の結果を後からまとめたものがアイデアとなる、つまり、そのように事後的にしか発見し得ないのが画期的なアイデアだと思うのです。
探索的、というのは進捗が堂々巡りになったときのクリエーターの言い訳にも聞こえますが、今では探索的な手法を如何に制御可能にするか、予測可能にするかという観点に立ったプロジェクトの管理手法も多く提案されていますし、今後ますます重要な考え方であることは間違いありません。