コンセプト

コンセプトに相当する日本語は「概念」ですが、いずれも辞書や辞典の説明で納得するのは難しい抽象的な「概念」です。
ここでは、ヒトが生来的に認識することのできる任意の「類似性」をコンセプトと呼ぶことにします。分かりやすく言うと、名指しできるもの全て、辞書やWikipediaの項目として紹介されるような、モノやコトのことです。
Piggydbは、情報の蓄積と編集を通して、ユーザーが新しいコンセプトを生み出すことを助けるような仕組みを構築することを一つの目標としています。
以下、Wikipediaより:
ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。
その概念を言葉で表現されたものを「名辞」と呼び、言語の構成要素として、それを組み合わせ、述べ表し、判断・認識可能なものとして現実世界をとらえて表現する。人間はほぼこのような概念化した名辞によって、この世の中のあらゆることを理解したり、表現したりしている。
また概念は、それを提議・提唱する者の心性、視点、立場、精神的なポジション・在り方を反映する。
コンセプトは、それらを敷衍し同様に扱うことによって、個々の物事・出来事の間の違いを省き、物事・出来事の間に共通する大要、要約、見解、イメージ、つまりは「普遍的概念」となる。このコンセプトは、実在の出来事や事件、物事の関係を種類に分け、分類化し、カテゴライズし、クラス分けをするのに貢献する。
概念は人間の精神内部に存在する何かであり、抽象的、普遍的なものである。精神外部の世界に存在するものや、出来事や、それらの関係について概念が存在する。ひとつの概念は個々の事物というよりも、事物の集合に対して存在する。
概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。

類似性の発見

創造性の源泉 - 類似性の発見

もし我々が世界のあり方をそのまま認識でき、その情報を他者に欠落なく伝達できるとしたらどうでしょうか。
そのような世界では不可知なことは存在し得ず、誤解、というよりそもそも解釈というものも存在しないでしょう。よって、文学や芸術が生まれる余地もありません。
しかし、現実には、身体的、物理的な制約があって、そのようなことにはなっていません。たとえば、我々は情報を脳という限られた場所で処理しなければならないので、何らかの形で情報を圧縮する必要に迫られます。
そのような制約から、我々は「類似性を認識する能力」を手に入れたのではないか、これは私の勝手な想像ですが、そのようにとりあえずは考えることにしてみます。
類似性を認識することによって、似たようなものを「同じもの」として扱うことができるようになります。たとえば、我々が「りんご」という場合、その対象は数え切れないほど無数にあります。りんごの個体ひとつひとつは微妙に形も違いますし、中には色が全く異なるものもあります。それでも、我々はそれらを同じ「りんご」として認識し、日常的なコミュニケーションにおいて誤解が発生することもほとんどありません。ここで情報はかなり圧縮されていることが分かります。
もちろん、圧縮することによる弊害もあります、我々は日常的に誤解や解釈の違いから来るディスコミュニケーションを経験しています。運が悪ければそれが争いの元になったりします。
しかし、一方で圧縮された情報が多くの人を感動させたり、特定の人を救ったりすることもあるわけです。
この、どのように情報を圧縮するか(圧縮したものをここではコンセプトと呼んでいる訳ですが)、そしてそれがどの程度他者に影響を与えたか、それが創造性の尺度になるのではないか、とりあえずここではそのような仮説を提示しておくことにします。

コンセプトの二層構造

タグフラグメント → ...

タグフラグメントは、タグの機能を併せ持つフラグメントです。
タグはWebサービスなどで普及している情報整理の手法です。いろいろな情報に対して、そのときに思いついた言葉でラベリングをしておき、後々その情報を探しやすくしたり、タグクラウドなどを利用して情報全体の傾向を把握したりすることができます。
フラグメントは、Piggydb特有のコンセプトで、データベースに入力される情報の単位です。ブログで言うと一件の記事、ツイッターで言うと一つのツイートに相当します。
この二つの機能を併せ持つので、タグフラグメントタグとして他のフラグメントに貼付ける(ラベリング)ことが出来るのと同時に、タグフラグメント自身がフラグメントとしてコンテンツを持ち、他のフラグメントとの「つながり」を持つことができます。
タグフラグメントは通常、データベースの中で重要なコンセプトを表現するために利用します。
ちなみに、この「タグフラグメント」という項目自体がタグフラグメントになっています。このフラグメントからの矢印を辿ると「タグフラグメント」というコンセプトにとって重要な項目を見ることができますし、「タグフラグメント」のページにジャンプすると、つながりによる隣接項目に加えて、「タグフラグメント」というタグが貼付けられたフラグメントの一覧も見ることができます。
上記のように、タグフラグメントは情報を二層に分けて整理するのが重要なポイントです。これによって、そのコンセプトにとって重要な情報と周辺的な情報を分けて管理することができるようになります。

タグフラグメント

タグフラグメントは、タグの機能を併せ持つフラグメントです。
タグはWebサービスなどで普及している情報整理の手法です。いろいろな情報に対して、そのときに思いついた言葉でラベリングをしておき、後々その情報を探しやすくしたり、タグクラウドなどを利用して情報全体の傾向を把握したりすることができます。
フラグメントは、Piggydb特有のコンセプトで、データベースに入力される情報の単位です。ブログで言うと一件の記事、ツイッターで言うと一つのツイートに相当します。
この二つの機能を併せ持つので、タグフラグメントタグとして他のフラグメントに貼付ける(ラベリング)ことが出来るのと同時に、タグフラグメント自身がフラグメントとしてコンテンツを持ち、他のフラグメントとの「つながり」を持つことができます。
タグフラグメントは通常、データベースの中で重要なコンセプトを表現するために利用します。
ちなみに、この「タグフラグメント」という項目自体がタグフラグメントになっています。このフラグメントからの矢印を辿ると「タグフラグメント」というコンセプトにとって重要な項目を見ることができますし、「タグフラグメント」のページにジャンプすると、つながりによる隣接項目に加えて、「タグフラグメント」というタグが貼付けられたフラグメントの一覧も見ることができます。
上記のように、タグフラグメントは情報を二層に分けて整理するのが重要なポイントです。これによって、そのコンセプトにとって重要な情報と周辺的な情報を分けて管理することができるようになります。

コンセプト → ...

コンセプトに相当する日本語は「概念」ですが、いずれも辞書や辞典の説明で納得するのは難しい抽象的な「概念」です。
ここでは、ヒトが生来的に認識することのできる任意の「類似性」をコンセプトと呼ぶことにします。分かりやすく言うと、名指しできるもの全て、辞書やWikipediaの項目として紹介されるような、モノやコトのことです。
Piggydbは、情報の蓄積と編集を通して、ユーザーが新しいコンセプトを生み出すことを助けるような仕組みを構築することを一つの目標としています。
以下、Wikipediaより:
ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。
その概念を言葉で表現されたものを「名辞」と呼び、言語の構成要素として、それを組み合わせ、述べ表し、判断・認識可能なものとして現実世界をとらえて表現する。人間はほぼこのような概念化した名辞によって、この世の中のあらゆることを理解したり、表現したりしている。
また概念は、それを提議・提唱する者の心性、視点、立場、精神的なポジション・在り方を反映する。
コンセプトは、それらを敷衍し同様に扱うことによって、個々の物事・出来事の間の違いを省き、物事・出来事の間に共通する大要、要約、見解、イメージ、つまりは「普遍的概念」となる。このコンセプトは、実在の出来事や事件、物事の関係を種類に分け、分類化し、カテゴライズし、クラス分けをするのに貢献する。
概念は人間の精神内部に存在する何かであり、抽象的、普遍的なものである。精神外部の世界に存在するものや、出来事や、それらの関係について概念が存在する。ひとつの概念は個々の事物というよりも、事物の集合に対して存在する。
概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。

コンセプトの文脈を支えるタグフラグメントの二層構造 → ...

#651で見つけたブログ記事(「KJ法は発想支援ツールとして有効?」)で展開されている考察がなかなか興味深かったので、ここからちょっと展開してみたいと思います。
このブログの筆者であるyama氏は、キーワードを中心にした共同作業でのアイデア創造手法(KJ法の変形)について、
私をして違和感を持たせたというのは、おそらく、提出させられた「キーワード」の裏にあるアイディア、そしてその背景、文脈が全く切り取られたかたちで議論の俎上にあげられたということだったように思う。... しかし、複数の参加者が、突然、「キーワード」あるいは「一行見出し」のみをならべ、相互の関連を考察しようとしても、何も新しい発想など生まれる筈がない。「一行見出し」がそれに代表されているリッチな内容が参加者間で了解されていないからだ。こうした議論が、表面的なもので終わるのは不思議なことではない。
という感想を述べておられますが、これは全くその通りであると私も思いました。
キーワードや見出しの質にもよるとは思いますが、発想のために重要なのはその背後にある膨大な文脈の方であって、キーワードはあくまで結果に過ぎないと思うのです。
面白いと思ったのは、このキーワードを中心としたある種の恣意的な連想ゲームというのは、この記事にある研究会の中だけではなく、現在のメディアを媒介した一般的なコミュニケーションにおいても同様のことが展開されているという点です。
特にインターネット上のコミュニケーションでは、こういった現象がますます加速していって、キーワードから完全に文脈が排除され、受け手の好きなように解釈・再利用されるという感じになっています。
私自身は、これはいわゆる創造的なプロセスとは逆行するものではないかと考えていて、故に共同作業でのアイデア創造についても懐疑的に考えざるを得ないと思ったりしています。
Piggydbではコンセプトタグフラグメントというもので表現しますが、これは試行錯誤の結果発見されたコンセプトにせよ、これから調べたいと考えて、予め設定されるコンセプトであるにせよ、その下に膨大な文脈情報をぶら下げることができるようになっています。
タグフラグメントとは「タグとしても使えるフラグメント」のことですが、このタグフラグメントはつながりとタグという二つの経路を使って他のフラグメントと関連付けることができます。以下のスクリーンショットのように、二層のグループ化されたフラグメントを持つことができるわけです(上部がつながりによるもので、下部がタギングによるもの)。
http://piggydb.files.wordpress.com/2011/08/full-fledged-tag-page.png
コンセプトを下支えする情報が二層化されることによって、コンセプトにとってより本質的な情報はつながりで接続、単に関係がある情報はとりあえずタギングしておく、という感じで、関連情報を振り分けながら、コンセプトの輪郭を作り上げていくことができます。あるいはその過程で、別のコンセプトを発見したりということも起こりやすくなります。
創造的なプロセスを実現するためには、膨大な文脈情報をいかにうまく構成できるかというのがキーポイントで、それをタグフラグメントによる二層構造で表現してみよう、というのがPiggydbのアプローチです。