#746 流動的な双方向性を持った知的生産   10 years ago (magician) Document
元のKJ法の記事(#735)の「既存の知識体系からの脱却」については、ちょっと誤解を与える表現だったかなと反省していますが、既存の知識を無視していいという話ではありません。むしろ既存の文脈がなければ「画期的なアイデア」なる概念すら存在し得ない。つまり、「コンテクストの共有」が前提にありつつ、「既存の知識体系からの脱却」をするという話です。脱却というか、その上に新しい視点を加えると言ったほうがいいのかもしれませんが、、、
  • 社会的に"画期的な"アイデアがどうかには、まるで興味がない。→『むしろ既存の文脈がなければ「画期的なアイデア」なる概念すら存在し得ない』
    • ビジネス的に成功したい、ソーシャルなネットワークの中で"画期的な"アイデアを披露し、自慢したい、というような欲が、現状まるでありません。
    • 現代社会に置ける既存の知識の膨大さに圧倒され、それらを全て勉強してからでないと画期的なアイデアを育てられないというのであれば、二番煎じの自己満足で良い、と開き直っている
      • 既存の知識を勉強することで、ミスを減らし、無駄を省くことができる事は理解している。ただし、その為の勉強の時間と自分のアイデアをアウトプットし育てていく時間、その両者のバランスを取っていきたい。
      • 二番煎じや追体験は、社会的には無駄かもしれないが、個人的には決して無駄な状況でもないと思う。そこには、無知故かもしれないが、"0→1"を知った知的快楽が存在し、その後の知的生産のモチベーションになるからだ。
      • 極端な例で言えば、"先人のミスの追体験"だって無駄な経験ではないと考えている。
      • 逆に言えば、"知識のつまみぐい"はできるだけ止めたい。表面的な認識から生む誤解は減らしたいし、先人の知識に対しても失礼だと思う。勉強するなら、しっかり勉強したい。
      • 数は少なくても"なんとなく知ってるつもり"という状況を減らし、本当の自分の体験、本当の自分の知識にしていきたい。深く、狭く。
  • 「コンテクストの共有」と「既存の知識体系からの脱却」の関係性
    • 「ミスを極力減らし、かつ作業全体にかかる時間を減らして効率的に作業をする」という目的のためなら、『「コンテクストの共有」が前提にありつつ、「既存の知識体系からの脱却」をする』というのは正しい解答なのだと思います。つまり、「コンテクストの共有」→「既存の知識体系からの脱却」という一方通行の勉強法ですね。
    • ただし、私の場合は、ミスや誤解が起きる事を受け入れた上で、流動的に対応しています。日々の限られた時間の中で、常に新しいアイデアが湧き出てくる状況の中では、必然的に「自分のアイデアのアウトプット」→「既存のコンテクストの参照」となってしまいます。グループ分け、カテゴライズにしても、基本的に自分の思いつきに由来することが多くなりますね。そもそも、「既存のコンテクストの参照」それ自体が難しいケースだってたくさんあります。
      • 個人的には、会議などの際でも、「思いつき」、「コンテクストの共有、参照と修正」、「既存の知識体系でのカテゴライズの参照」「その場の感情的なカテゴライズ」などが流動的に行われれば良いと考えています。特に「コンテクストの共有」に「参照と修正」の概念を追加することが大事じゃないかなと。誰かのコンテクストが間違っていたら、正しい知識のある人が参照すべき情報を提示してあげる事。又逆に、新たなアイデアや視点が生まれたことで、参照すべき知識が追加、更新、修正されたりもする。その双方向性がとても大事なのだと思います。