品物そのものと品物を作ったチームスタッフの価値の比較

つまりこれは、価値があるのは、アイデアの方なのか、それともそれを実現する過程で蓄積した文脈の方なのか、という話ですね。
これは、例え話ではなくて、似た話なのですが、「品物そのもの」の価値と「品物を作ったチームスタッフ」どちらにより高い価値があるのかという話があります。
個人的な結論としては、両者にそれぞれ価値がある。としか言いようがないのですが、こういう視点を持つこと、そのものが大事なのかなと思います。
ちなみに私は知人から以下のようなプリウスの開発秘話を聞き、新鮮な驚きを感じました。
  1. 初期のハイブリッド車は、実はガソリン車よりも燃費が悪かった。
    1. その為、車に詳しい専門家ほど、プリウスに反対した。
  2. だが、開発者は、ハイブリッド車の未来を信じていた。
  3. そして、初期のプリウスが発売された。まだ燃費はそんなに良くなかった。だが、エコロジーを売りにしたマーケティング戦略、ブランド戦略に成功し、数を売ることに成功した。
  4. 数が売れたお陰で、開発を続けることができて、現在のプリウスは本当に、ガソリン車よりも燃費の良いハイブリッド車に進化した。

「必要は発明の母」じゃなくて「発明は必要の母」

「アイデアー文脈」と「品物ー製作者」の関係は全く異なるものですよね。品物はアイデアを具現化したものなので、そこには文脈が込められています。つまりディテールがある。
「必要は発明の母」という言葉がありますけど、歴史的な発明品は発明者の意図通りに使われていないことが多いようです。これは解釈の自由を考えれば自明のことです。それを考えると、文脈など意味のないことのように思えてきますよね。でも実際は、文脈を重ねるとある種の普遍性に到達する蓋然性がそうしないよりは高くなる、ということなのかなと思います。そして結果的には「発明は必要の母」になると。