昇格したタグフラグメントは象徴であり、価値はそれが象徴する中身そのものにある

いや、きっと「"昇格したタグフラグメント※1"で括られた"つながり”によって構造付けられたフラグメント群の集合」の価値の方が、「"昇格したタグフラグメント"」そのものよりも価値があるのでしょう。言い換えるならば、"アイデアを実現する過程で蓄積した文脈"の方が、"アイデアそのもの"、"アイデアのネーミング"、"アイデアの説明"よりも価値があるということではないでしょうか?
つまりこれは、価値があるのは、アイデアの方なのか、それともそれを実現する過程で蓄積した文脈の方なのか、という話ですね。
これに対して、文脈重要派が、アイデアは実現しなければ価値がない、という場合、それはいいアイデアを実現すると必然的に価値のある結果が得られるという意味ではなく、蓄積された文脈の価値によって、結果の重要性が左右されるという意味になります。

※1"つながり"によって構造付けられたフラグメントが"タグフラグメント"化したタグフラグメントを、ここでは仮に"昇格したタグフラグメント"と呼び、"生まれつきのタグフラグメント"と区別する。
※2過去のPiggydb.jpで使われていた単語に合わせて、変身を昇格に修正。

タグフラグメントにはいくつの要素が詰まっているのだろうか?

タグフラグメントをいくつかの要素に分けてみる。特に、私なりのやり方、Piggydbをボトムアップ中心で図解風に使っていく場合、という視点で分けてみる。

以下は、Piggydbをボトムアップ中心で図解風に使っていく場合のイメージ作りには役に立ちますが、タグフラグメントの『ID810番』を重視する場合にはあまりオススメしないやり方です。(フラグメントの『構造』は"つながり"で作るべきだと考える場合)

※あくまでもイメージ です。

  • ※あくまでもイメージ です。 | davinci note
    • ※あくまでもイメージです。Piggydbを使い始めの頃は、このイメージ通りに、ボトムアップ中心にタギングしていっても良いと思いますが、現在、私が考えている「フラグメント群をつながりで構造化し、つながりの意味が見えたとき、その意味とその意味が支配する範囲をタグフラグメントで規定しよう」という使い方にはそぐわないタギングになります。

つながりの意味が、分かった時にタグフラグメントが生まれるんだ。 → ...

見た目が悪くなってしまい残念ですが、一番シンプルなモデルで表現してみました。AとBのフラグメントの間にあるつながりの意味を考え、その意味が「対義語だ」分かったとき、その意味と意味が支配する範囲をタグフラグメントで規定する。その時、タグフラグメントは名詞でなく、文章で良いのです。むしろ、文章の方が良いかもしれません。
ここでの注意点は、タグは決して、共通点を括ったときにのみ発生するものではないということです。(以前の私の考えとは変化してきていますので、ご注意下さい)

タグフラグメントが 指し示す中心と周辺 → ...

フラグメント群をつながりで構造化し、つながりの意味が見えたとき、その意味とその意味が支配する範囲をタグフラグメントで規定しよう」という考えの内、タグフラグメントが 指し示す中心と周辺に関するイメージ画像です。

品物そのものと品物を作ったチームスタッフの価値の比較

つまりこれは、価値があるのは、アイデアの方なのか、それともそれを実現する過程で蓄積した文脈の方なのか、という話ですね。
これは、例え話ではなくて、似た話なのですが、「品物そのもの」の価値と「品物を作ったチームスタッフ」どちらにより高い価値があるのかという話があります。
個人的な結論としては、両者にそれぞれ価値がある。としか言いようがないのですが、こういう視点を持つこと、そのものが大事なのかなと思います。
ちなみに私は知人から以下のようなプリウスの開発秘話を聞き、新鮮な驚きを感じました。
  1. 初期のハイブリッド車は、実はガソリン車よりも燃費が悪かった。
    1. その為、車に詳しい専門家ほど、プリウスに反対した。
  2. だが、開発者は、ハイブリッド車の未来を信じていた。
  3. そして、初期のプリウスが発売された。まだ燃費はそんなに良くなかった。だが、エコロジーを売りにしたマーケティング戦略、ブランド戦略に成功し、数を売ることに成功した。
  4. 数が売れたお陰で、開発を続けることができて、現在のプリウスは本当に、ガソリン車よりも燃費の良いハイブリッド車に進化した。

「必要は発明の母」じゃなくて「発明は必要の母」

「アイデアー文脈」と「品物ー製作者」の関係は全く異なるものですよね。品物はアイデアを具現化したものなので、そこには文脈が込められています。つまりディテールがある。
「必要は発明の母」という言葉がありますけど、歴史的な発明品は発明者の意図通りに使われていないことが多いようです。これは解釈の自由を考えれば自明のことです。それを考えると、文脈など意味のないことのように思えてきますよね。でも実際は、文脈を重ねるとある種の普遍性に到達する蓋然性がそうしないよりは高くなる、ということなのかなと思います。そして結果的には「発明は必要の母」になると。

camiです。
Evernoteの場合は、input-and-searchが基本で、organizeはあくまでオプショナルになる。なのでorganize機能を充実させるのは、いたずらに複雑性を増すだけなのかなあと。
これはその通りだと思います。
Evernoteの講習会が開かれており、そのまとめブログを眺めることもあるのですが、整理をするなら「複雑な工夫」が必要になっているという印象を受けます。
複雑な工夫をせずに、自然にできるのが理想なんですが、数学的に否定されてしまっていると…。
私事になりますが、Piggydbを使って、「整理」と「学習」できたと感じられたことを一つ。
私には現在、要介護の身内がいます。
金銭的な問題も抱えています。
そして私自身も病院通いの生活です(以前、なかなかコメントしにくいと言ったのはこれが原因でした…)。
まず、一つの問題を解決しようと、対処方法、参考資料などを集めていきました。
そうしているうちにタグフラグメントが浮き出てきて、ある程度の形になりました(「問題の整理」)。
それを、現在抱えている各問題に対して行ったところ、共通するフラグメントが見つかりました。
「もしかしたらこれが核になるかもしれない」と思い、それをまたタグフラグメント化して、付近のフラグメントにタギングしていくと、解決の糸口が見えてきました。
そうこうしているうちに「自分を守りつつ介護する方針」が立ちました。
これはPiggydbのおかげです。
非常に感謝しております。
…で、この流れこそが「整理に対する恣意性」と「学習」ということでいいのでしょうか?
ただ、それはもしかしたら「同時期に複数の問題を抱えていた」という認識があったからこそできたのかもしれません。
たとえば各問題が別々の時期に発生し、時系列として遠く離れたフラグメントからヒントを得なければならない状況だと、この方針を見つけ出せなかった可能性もあります。
結局のところ、そういう関連性を見つけ出すのは脳内の作業です。
そう考えると、距離の大きなフラグメント同士の関連に気付くためには、やっぱり大局的な視点が欲しい気がします。
タグフラグメントを駆使するにしても、タグフラグメントの量自体が増えすぎるという問題も発生しますし。
情報の量と視認性はトレードオフの関係になるわけで、難しい問題なんですよね。

「蓄積」と「大局的な視点」 → ...

camiさん、
介護問題、私も一度覚悟を決めた後にその身内が亡くなるという経験をしているので他人事とは思えませんが、回り回ってPiggydbというソフトウェアがそのような形で、ささやかにでもお役に立てたということであれば、これ以上嬉しいことはありません。
結局のところ、そういう関連性を見つけ出すのは脳内の作業です。
そうなんですよね。人間の能力を馬鹿にしてはいけないなと思います。Piggydbと似たようなアイデア創造の手法としてKJ法というものがありますが、確か立花隆氏だったと思いますが、そんなまどろっこしいことをしなくても人間は頭の中で同じようなことをやっているという批判がありました。
と思って、ググったら、やはり見つかりました。
KJ法の原理は非常に重要なことだということはわかっていた。しかしそれは、別に川喜田二郎に教えられるまでもなく、昔から多くの人が頭の中では実践してきたことなのである。別に珍しいことではない。KJ法のユニークなところは、これまでは個々人の頭の中ですすめられていた意識内のプロセスを意識の外に出して一種の物理的操作に変えてしまったことにある。「頭の中であれこれとりとめもなく考える」というプロセスをさまざまの概念を記した紙片をあちらに動かしたり、こちらに動かしたりという物理的運動に変える。それによって、これまで個々人の頭の中という無形の作業空間しかなかったものが、一つの物理的作業空間を得ることによって、集団的作業が可能になる。作業手順を定型化することで、万人向けのシスティマティクな方法論が確立する。... KJ法のごとき発想、つまり、思考過程を普遍的かつシスティマティクな物理的作業手順に分解することによって、これまで意識内作業であったものを物理的作業に置き換えることができるという発想は、コンピュータにはふさわしいが、人間にはあまり向かない。
コンセプトを発見するというプロセスにおいて、人間にはそれまでの長い経験に基づく直感というものもありますし、システムができるのはあくまで補助的な部分だけだと思います。ただこの補助の機能としてcamiさんが言われる「大局的な視点」をどうやって実現するかという部分においては、まだまだ工夫の余地はあると思います(スライダーによるズームもこの観点からの機能でした)。
むしろシステムとして重要なのは発見したコンセプトを「蓄積」する方かなとも思います。人間の記憶には限界がありますので、データベースがある程度以上に成長すると、脳のキャパシティを超えた部分で、さらなるコンセプトの発見をサポートできる可能性が高まるのではないかと期待しています。
蓄積した情報をどう見せるかについては、いくつかアイデアがありますので、今後のバージョンでそれらを実装していくことになると思います。「蓄積」と「大局的な視点」がうまく両立できればKJ法の限界も突破できるのではないかと。

昇格したタグフラグメントは象徴であり、価値はそれが象徴する中身そのものにある → ...

いや、きっと「"昇格したタグフラグメント※1"で括られた"つながり”によって構造付けられたフラグメント群の集合」の価値の方が、「"昇格したタグフラグメント"」そのものよりも価値があるのでしょう。言い換えるならば、"アイデアを実現する過程で蓄積した文脈"の方が、"アイデアそのもの"、"アイデアのネーミング"、"アイデアの説明"よりも価値があるということではないでしょうか?
つまりこれは、価値があるのは、アイデアの方なのか、それともそれを実現する過程で蓄積した文脈の方なのか、という話ですね。
これに対して、文脈重要派が、アイデアは実現しなければ価値がない、という場合、それはいいアイデアを実現すると必然的に価値のある結果が得られるという意味ではなく、蓄積された文脈の価値によって、結果の重要性が左右されるという意味になります。
  • #785 「アイディアの価値」

※1"つながり"によって構造付けられたフラグメントが"タグフラグメント"化したタグフラグメントを、ここでは仮に"昇格したタグフラグメント"と呼び、"生まれつきのタグフラグメント"と区別する。
※2過去のPiggydb.jpで使われていた単語に合わせて、変身を昇格に修正。

ID816番

エッセンス

エッセンス

キーワード

キーワード

中心部

中心部

土台

土台

事後的に発見されるアイデアとは? → ...

アイデアとその実現を別々に考える、というのは、おそらく今でも多くの人にとって自然な考え方でしょうし、特に組織においては支配的な考え方だと思います。まずブレインストーミングなどでアイデアを出すフェーズがあり、そのアイデアに対して評価を行い、その後に、良さそうだとされたアイデアの実現に向けて行動を開始する。
しかし、実際はそのようなやり方が機能することはほとんどなく、組織で生み出されるものは概して流行を追いかけるものばかりだったりします。
現代において新しくて価値のあるものを生み出そうとするなら、ほぼ例外なく、探索的な手法を取らざるを得ないのではないかと思います。トライアル&エラーで常に学習しながら軌道修正していかざるを得ない。その探索の結果を後からまとめたものがアイデアとなる、つまり、そのように事後的にしか発見し得ないのが画期的なアイデアだと思うのです。
探索的、というのは進捗が堂々巡りになったときのクリエーターの言い訳にも聞こえますが、今では探索的な手法を如何に制御可能にするか、予測可能にするかという観点に立ったプロジェクトの管理手法も多く提案されていますし、今後ますます重要な考え方であることは間違いありません。
とは何か?
それは、「”つながり”で構造付けられたフラグメント群の『ID816番』がタグフラグメント化した時に発見されたアイデア」の事ではないだろうか?

一連の過程そのものに価値があるのか? → ...

この話は結構重要だと、個人的には思っているのですが、価値のあるアイデアというのは「思いつき」とは違うものだと思います。なので、アイデアを発想する、という表現にも若干違和感を感じます。これは以前にもちょっと書きましたが、その背後に膨大な文脈があることが重要なのであって、おそらくアイデア自体に価値はありません。アイデアと呼んでいるものは基本的に後知恵でしょう。
もしくは、「「”つながり”で構造付けられたフラグメントの『ID816番』がタグフラグメント化するまでの"一連の過程そのもの"」に価値があるのではないでしょうか?

昇格したタグフラグメントは象徴であり、価値はそれが象徴する中身そのものにある → ...

いや、きっと「"昇格したタグフラグメント※1"で括られた"つながり”によって構造付けられたフラグメント群の集合」の価値の方が、「"昇格したタグフラグメント"」そのものよりも価値があるのでしょう。言い換えるならば、"アイデアを実現する過程で蓄積した文脈"の方が、"アイデアそのもの"、"アイデアのネーミング"、"アイデアの説明"よりも価値があるということではないでしょうか?
つまりこれは、価値があるのは、アイデアの方なのか、それともそれを実現する過程で蓄積した文脈の方なのか、という話ですね。
これに対して、文脈重要派が、アイデアは実現しなければ価値がない、という場合、それはいいアイデアを実現すると必然的に価値のある結果が得られるという意味ではなく、蓄積された文脈の価値によって、結果の重要性が左右されるという意味になります。
  • #785 「アイディアの価値」

※1"つながり"によって構造付けられたフラグメントが"タグフラグメント"化したタグフラグメントを、ここでは仮に"昇格したタグフラグメント"と呼び、"生まれつきのタグフラグメント"と区別する。
※2過去のPiggydb.jpで使われていた単語に合わせて、変身を昇格に修正。

ID801番は分からない場所を示す印であり実際に使用して始めて意味がある。 → ...

#816 ID816番」のフラグメントで表現されているものを、もうちょっと具体的にご説明頂くことは可能ですか?例えば、7個のフラグメントがぶら下がっていますけれど、何故その7つなのか?
まず、始めに、実際にID816番を使われたフラグメントとの関連を示していなかったことで、本人以外には非常に分かりにくいものになってしまい、申し訳ありませんでした。現在は、実際に使われたフラグメントとの間に双方向つながりを作成してあります。
そして、その実際の使用例が以下になります。
#728_事後的に発見されるアイデア
とは何か? それは、「”つながり”で構造付けられたフラグメント群の『ID816番』がタグフラグメント化した時に発見されたアイデア」の事ではないだろうか?
  • #812 事後的に発見されるアイデアとは? より引用。
もしくは、「「”つながり”で構造付けられたフラグメントの『ID816番』がタグフラグメント化するまでの"一連の過程そのもの"」に価値があるのではないでしょうか?
  • #813 一連の過程そのものに価値があるのか? より引用。
又、以下のフラグメントも同じ流れの中にあるので、紹介します。(ID816番との双方向つながりも作成しました)
いや、きっと「"昇格したタグフラグメント※1"で括られた"つながり”によって構造付けられたフラグメント群の集合」の価値の方が、「"昇格したタグフラグメント"」そのものよりも価値があるのでしょう。言い換えるならば、"アイデアを実現する過程で蓄積した文脈"の方が、"アイデアそのもの"、"アイデアのネーミング"、"アイデアの説明"よりも価値があるということではないでしょうか?
以上をふまえた上で、ID816番のイメージを想像しては頂けますでしょうか?
私自身が「”つながり”で構造付けられたフラグメント群の『ID816番』がタグフラグメント化する」経験をほとんどしていないので、これ以上の説明は難しいです。どんなフラグメントタグフラグメントに昇格するのか、あまり実感がないのですね。なので、とりあえず思いつくままに、7つのフラグメントをイメージの材料としてつなげておくことにしました。
逆に言えば、ID816番の本文が空白であること、そのものに意味があるわけです。「私はこのことについて分かりません、でもどこが分からないのかは分かっています」ということを示したいわけです。
これはどちらかというと、ID801番の使い方に関わる問題な気もします。そして、それに関して、私にとっても新しい手法なので説明不足が合ったこと、改めてお詫び申し上げます。

→ ...

camiです。
Evernoteの場合は、input-and-searchが基本で、organizeはあくまでオプショナルになる。なのでorganize機能を充実させるのは、いたずらに複雑性を増すだけなのかなあと。
これはその通りだと思います。
Evernoteの講習会が開かれており、そのまとめブログを眺めることもあるのですが、整理をするなら「複雑な工夫」が必要になっているという印象を受けます。
複雑な工夫をせずに、自然にできるのが理想なんですが、数学的に否定されてしまっていると…。
私事になりますが、Piggydbを使って、「整理」と「学習」できたと感じられたことを一つ。
私には現在、要介護の身内がいます。
金銭的な問題も抱えています。
そして私自身も病院通いの生活です(以前、なかなかコメントしにくいと言ったのはこれが原因でした…)。
まず、一つの問題を解決しようと、対処方法、参考資料などを集めていきました。
そうしているうちにタグフラグメントが浮き出てきて、ある程度の形になりました(「問題の整理」)。
それを、現在抱えている各問題に対して行ったところ、共通するフラグメントが見つかりました。
「もしかしたらこれが核になるかもしれない」と思い、それをまたタグフラグメント化して、付近のフラグメントにタギングしていくと、解決の糸口が見えてきました。
そうこうしているうちに「自分を守りつつ介護する方針」が立ちました。
これはPiggydbのおかげです。
非常に感謝しております。
…で、この流れこそが「整理に対する恣意性」と「学習」ということでいいのでしょうか?
ただ、それはもしかしたら「同時期に複数の問題を抱えていた」という認識があったからこそできたのかもしれません。
たとえば各問題が別々の時期に発生し、時系列として遠く離れたフラグメントからヒントを得なければならない状況だと、この方針を見つけ出せなかった可能性もあります。
結局のところ、そういう関連性を見つけ出すのは脳内の作業です。
そう考えると、距離の大きなフラグメント同士の関連に気付くためには、やっぱり大局的な視点が欲しい気がします。
タグフラグメントを駆使するにしても、タグフラグメントの量自体が増えすぎるという問題も発生しますし。
情報の量と視認性はトレードオフの関係になるわけで、難しい問題なんですよね。