ちょっと読んでいて思ったのですが、「コンテクスト」という語の意味を誤解されてませんか?

コンテクスト

まずは、Piggydb 6.11のリリース、どうもお疲れさまでした。そして、素晴らしい更新をどうもありがとうございます! 新バージョンの感想については、実際にしばらく運用した後に報告させて頂きたいと思いますが、今からワクワクしています。
「コンテクスト」という語に関しては、Eurekaが閃くまでは正常に意味を把握していたと思います。その後、Eurekaが起きてからは、少し頭の中で言葉の整理が出来ていなかったので、誤用があったかもしれません。現在は、また頭も落ちつき、言葉も正しく運用できるようになってきていると思います。この辺りのことは、以下の記事に私なりに分かりやすく伝えられるように書いてみました。
以上、4つ記事を公開させて頂きました。、もしお時間があれば読んで頂ければ嬉しいです。全て、至って本気で真面目に知的生産の技術とPiggydbに関しての記事になっています。
画像の文字もそのままで読めるサイズになっていると思いますが、読みにくいようでしたら、ご指摘頂けますとありがたいです。
コンテクストの擬人化についても準備までは出来てきているので、近日中に公開する予定です。

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「コンテクスト」の意味については、記事に書かれている内容で合っていると思います。「コンテクストの言霊」というのがピンと来なくて、「○○の言霊」ということで、どのような言葉でも言えてしまいますし、「コンテクスト」である理由は何なのかなというのが素朴な疑問でした。
元のKJ法の記事(#735)の「既存の知識体系からの脱却」については、ちょっと誤解を与える表現だったかなと反省していますが、既存の知識を無視していいという話ではありません。むしろ既存の文脈がなければ「画期的なアイデア」なる概念すら存在し得ない。つまり、「コンテクストの共有」が前提にありつつ、「既存の知識体系からの脱却」をするという話です。脱却というか、その上に新しい視点を加えると言ったほうがいいのかもしれませんが、、、
この話は結構重要だと、個人的には思っているのですが、価値のあるアイデアというのは「思いつき」とは違うものだと思います。なので、アイデアを発想する、という表現にも若干違和感を感じます。これは以前にもちょっと書きましたが、その背後に膨大な文脈があることが重要なのであって、おそらくアイデア自体に価値はありません。アイデアと呼んでいるものは基本的に後知恵でしょう。
平たく言えば、「コンテクストの共有」というのは、ひたすら勉強しろってことです。しかも、そこに自分流の解釈を挟まないことが大事です。挟んでしまえば、その時点で「コンテクストの共有」ではなくなります。もちろん、現実的に文脈を100%把握する、というのは不可能ですので、問題となるのはそこへ向かおうとする志向なんだと思います。
このようなツールを作っていて、こんなことを言うのも変な話かもしれませんが、手法に耽溺することの危険性は十分に注意した方が良いと思います。
なんか、偉そうな事を書いていると自分に対する壮大なブーメランになりそうなので、この辺で止めておきますね(笑)magicianさんの書き込みは考えるきっかけになっているので、それは本当にありがたく思います。