"知識の蓄積と修正"と"知識の獲得手法と新たな視点"

#746の内容に関して、以下の2つのblogがとても参考になると思うので、良かったら元のブログの全文も参照して頂けると幸いです。
文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい-デマこいてんじゃねえ!
文章を書くという仕事は、ゼロを1にする作業だと思われがちだ。
小説や脚本、ゲームシナリオなどの創造的な文章ならばなおさらだ。しかし実際には、文章を書くというのは100を1にする作業だ。文章を書けるかどうかは、このことに気づけるかどうかだと思う。作家にせよ、ジャーナリストにせよ、それこそアルファブロガーに至るまで、きちんとした文章を書ける人はみんなこのことに気づいている。
いわゆる「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々は、知識を軽視しがちだ。問題を効率的に解決する方法や、アイディアの出し方……マニュアル化された「頭の使い方」をマスターすることに夢中で、知識の蓄積を後回しにしがちなようである。頭の使い方さえ身につけていれば、知識は必要になったときにキャッチアップすればいい、キャッチアップできると信じて疑わない。ビジネスの世界で求められる知識とは、つまり、その程度の浅いもので充分なのかもしれない。
知識を身につけるとは、本来、そういうことだ。数十年後に百科事典一式に匹敵する情報を身につけるために、毎日少しずつ知識を蓄積していかなければいけないのだ。そうやって体に刻み込んだ知識は、一週間やそこらでキャッチアップできるような種類のものではなくなる。
自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして、経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。ゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがくる。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力だ。
文章を「書ける人」になるには? - YKN03ブログ
だから、「オレはこれから文章を書くぞ!」と決めたからには、もう「知識集め」をしてもムダ。おのれがいま持っている知識の量で、「作文」という「知的バトル」に挑むしかないのである。
でも、である。「文章を書く」とは、「脳内で起こる戦争」なのだ。ものすごくめまぐるしく、頭の中が回転しているのだ。そしてその勢いでもって文章を書くのだ。
そんなとき、一々「ええっと、ここにはこんな言葉を持ってきて、最後はこんなふうに締めて・・・あっ、ここには読点があったほうがいいかな」なんて考えていたら、まず、死ぬ。何が死ぬかって、文章を書いていくときに起きる「勢い」や「躍動」が、である。
で、こういったものは絶対に殺してはならない。なぜなら、良い文章、おもしろい文章はこうした「勢い」や「躍動」と表裏一体の関係だからだ。

”暗記教育>勉強の仕方”、という時代の反動を受けて、”既存の知識<知識の獲得”の手法という風潮が現代にはある、と私は感じています。
私個人は、読書も好きで既存の知識にも大いに刺激を受け、また先人にも敬意を払っているつもりです。一方で、とにかく日々新たなアイデアや発想が湧き出て、その記録とアウトプットに振り回されつつも、そのこと自体も楽しんでいます。
ですので、"知識の蓄積と修正"と"知識の獲得手法と新たな視点"を柔軟に双方向にバランスよく行っていきたいと考えています。
"獲得手法さえ知っていれば、いつでも簡単に知識を手に入れられる"というのは、私も誤解だと思います。真剣に知的生産に取り組めば取り組むほど、”既存の知識を本当の意味で自分の知識にする事の労力と価値”を再認識するようになりますよね。そして、先人の知識とそのプレゼンテーションに敬意と感謝を持つようになると思います。
P.S.
私は、モノや情報を捨てるのが大の苦手です。文章でも推敲が大事だというのは分かっていますが、削れない。むしろ、大事なことだから、何度も重複して書いたんだ。と都合良く捉えてしまうんですよね。
また、私のPiggydbはどちらかと言えば、0を1にするデータなのですが、それがとにかく溢れかえっているわけです。そもそも趣味の分野ですし、枯渇したらときのことはその時考えれば良いと考えています。

紹介して頂いたブログを拝読しました。面白いですね。基本的には同意しますが、そして「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々を批判するのもいいのですが、功利主義を実際に批判するのは生半可なことじゃないですよ。

世界で1つだけの花(smap)

読んで頂けて、嬉しいです。
ただ、確かに紹介させて頂いたブログでは、「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々を批判していましたが、個人的には批判的な気持ちはないです。単純に、「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々が「知識を蓄積」する事を始めたら、もっと素晴らしい仕事が出来るようになるんだろうな、というアドバイス的な気持ちがあるだけです。
あと、功利主義については私は特に感慨がありません。単に、私なら仕事が認められてお金がたくさんもらえれば嬉しいし、でもロボットみたいな仕事は多分私には出来ないし。お金がもらえなくても誰か一人でも自分の好きなことに関して認めてくれればとても嬉しいし。ぐらいの感想しかないですね。
基本的に、他の人や他の考えを「批判」する程の、強い関心や情熱、勇気がないんですよね。自分の考えは主張しますが、それがイコール”違った違う考えの人を批判する事”になるとは思わないですし。良さは1つじゃない、それぞれに違った良さがある。とか考える人なので。