#897 すべての世界に翻訳するに耐え得る深いアイディアだけをやろうとしなければ、これからは一切戦えない   #引用     専門性の檻     10 years ago (owner) Document
自分は理系だとか、自分はネクタイをしめているサラリーマンだというように、「ラベル」を貼った段階で、既に決定的に、自分の戦う空間を狭くしてしまっている。
インターディシプリナリー(専門領域を超えること)はすごく大事なんだけれども、理系、文系、デザイナー、アーティスト、技術者がコラボレーションするというのは、本当のインターディシプリナリーじゃない。
アーティストというだけで、C+を駆使して、コーディングすることが、全く期待されてないのはなぜか。プログラムが、どういうふうにつくられるのか、何なのかが理解できない。何がつくれるか、つくれないかもわからないで良いと思っている。それは大きな機会損失だと思う。
一方、エンジニアに対しては、アーティスティックな、まさにこういうコンセプチュアルな貢献がまったく期待されてない。それぞれ自分たちの役割分担の中にとどまっている。
そういう定義された区分けから産まれるもの自体に、明らかな限界があって、各人が美学と工学の両方をつかんでいなければ本当はダメなんです。すなわち、アート、デザイン、サイエンス、エンジニアリング、そしてビジネス、この5つのランゲージを全部しゃべれて、すべての世界に翻訳するに耐え得る深いアイディアだけをやろうとしなければ、これからは一切戦えない。ですから、理系・文系とか、あるいは課長・部長とか、メディアとかアイディアだとか、なんだとか、ラベリングが完了した時点で、ものすごく人間本来のルネッサンス的、躍動的な才能の半分が封鎖されてしまっているということ。