アイデアは実現して始めて価値を持つ

この話は結構重要だと、個人的には思っているのですが、価値のあるアイデアというのは「思いつき」とは違うものだと思います。なので、アイデアを発想する、という表現にも若干違和感を感じます。これは以前にもちょっと書きましたが、その背後に膨大な文脈があることが重要なのであって、おそらくアイデア自体に価値はありません。アイデアと呼んでいるものは基本的に後知恵でしょう。
タグフラグメント」、事後的に発見されるアイデア 等とも関連しているだろうこの話には、私も強く関心があり、かつまだ自分の中で作者様の伝えたいイメージがなかなかつかめていないという自覚があります。その上で話させて頂きますと、帰迷閃(仮)-行きはEureka、帰りは迷子-が私の中で問題となります。つまり、Eurekaが生まれた背景には、自分の中のたくさんの経験、コンテクストがあるからだと思います。しかし、それらの膨大な経験、コンテクストを正確に理解し、他者に伝えていくことはとても難しい作業かもしれない、ということです。
なので、もちろんそのEurekaの背後にあるコンテクストを把握しようとする意識はとても重要ですが、まずは、そのEureka自体を記録、アウトプットしていく、という作業が大事であると感じています。
逆に言えば、その困難な作業を手助けしてくれる、"タグフラグメント"や"つながり"等を提供して下さるPiggydbには本当に感謝していますし、今後の進化にもとても期待しております。本当にどうもありがとうございます。
個人的には、"アイデアは実現して始めて価値を持つ"と言うところに重きを置いています。もちろん、そのアイデアの背後に正しい知識の共有に基づく膨大な文脈があれば、そのアイデアには、まだ実現されていない段階でもある程度の"信頼感"があると思います。教養や実績のある人の発言への信頼感と同じですね。
しかし、単なる思いつきから始まっても、そのアイデアを実現する過程で、既存の知識を参照して裏付けを取ったり、自分の記憶と経験を振り返って論理的にアウトプットして、他者への説明、プレゼンテーションを行ったり、といろいろな知的生産作業を行うはずです。
まあ、とにかく一方通行の形式に拘らずに、柔軟に流動性をもって、教養と思いつきのバランスをとりながら、楽しく知的生産を行っていきたい、というのが私のスタンスです。

アイデアは実現して始めて価値を持つ
実現するというのは文脈の蓄積なので、当然価値を持つことになりますよね。「事後的に発見されるアイデア」というのは、何かを実現した後に事後的に説明されたものと言い換えても良いと思います。

何かを実現した後に事後的に説明されたもの

実現するというのは文脈の蓄積なので、当然価値を持つことになりますよね。「事後的に発見されるアイデア」というのは、何かを実現した後に事後的に説明されたものと言い換えても良いと思います。
なるほど、少しずつ想像できてきました。この件に関しては、もっともっと作者様の解説を聞かせて頂ければ、個人的にはとても嬉しいです。凄く関心がありますので。今度は、実例を交えて紹介して頂けると、本当にありがたいです。(もちろん、作者様のお時間のあるときで結構です)
特に、「実現するというのは文脈の蓄積」という部分をもっと具体的に解説して頂けると嬉しいです。