#908 あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ   #引用     spontaneity     4 years ago (owner) Document
するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。

自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫(ほ)ってみたくなったから見物をやめてさっそく家(うち)へ帰った。

道具箱から鑿(のみ)と金槌(かなづち)を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪(まき)にするつもりで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃な奴(やつ)が、たくさん積んであった。

自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫(ほ)り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片(かた)っ端(ぱし)から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。