不安を煽り、探求心を喚起すること

それでは、#801フラグメントに書かれている内容に的を絞って、説明をさせて頂きます。(このフラグメントで伝えたかったイメージを理解頂ければ、残りのイメージも芋づる的に理解して頂けると考えています)
まず、#801フラグメントを1つのコンセプトとし、『ドアコン(仮称)』という項目名で呼ばせて頂きます。
『ドアコン(仮称)』は「私はこのことについて分かりません、でもどこが分からないのかは分かっています」という項目を自分のPiggydb辞書に作るための1つの手法です。辞書は項目名が無いと機能しないので、仮の名前を与えます。仮の名前の付け方は自由ですが、先入観が入り込まないように、私はその項目を入力したフラグメントの番号をそのまま付けて、『ID#XXX』と名付けるようにしています。
そこで何故、分かりやすいように仮の『キーワード』で項目名を付けないのでしょうか? それは『ドアコン(仮称)』が『キーワード』とは似て非なるコンセプトを表すための手法だからです。『ドアコン(仮称)』とは、自分が漠然と抱いているイメージの集合体を、先入観や思い込みで安易に唯一のイメージに固定してしまわないための方法です。言霊という考えがあるとおり、名前には力があります。仮の『キーワード』を項目名として与えてしまうと、そのイメージの集合体全体が、その『キーワード』のイメージに引っ張られてしまう可能性があります。
別の角度から説明してみます。私は『#随想のかけら』を描写する前に、あえてメモを取らないことがあります。メモを用意すると、メモした内容以外のイメージを『#随想の欠片』で描写し損ねてしまうことがあるからです。そして、メモを取らないと不安な気持ちになるからです。その不安、「思い描いていたイメージが『#随想の欠片』で描写している最中に消えてしまったらどうしよう」という不安が、私の指を情熱的にキーボードに叩き続ける原動力となります。
更に別の角度から説明してみます。目の前にカラッポの本棚が有り、机の上にたくさんの本が散らばっていたら、本棚に整理したくなりませんか? (そういった、足りないものを埋めたくなる心理を利用したマンダラートという知的生産の手法も存在しています)でも、逆に本棚にキレイに整理されている本をもう一度、一から別の分類に整理し直すことには勇気が要ると思いませんか? 分類に限らず、人の手で作られた作品全般において、完成度の高いものになればなるほど、それを一から作り直したい、という欲求から離れていくようになると、私は感じています。
つまり、あえて仮の『キーワード』を項目名として与えないことで、不安を煽り、この項目名の本当の『キーワード』はなんだのだろうと常に模索し続けようとする心理的欲求を与えることが、『ドアコン(仮称)』の目的の1つです。

Piggydb.jpの#845で提案して頂いた「#知的生産物語」を「#随想のかけら」として今後タギングさせて頂きますので、どうぞよろしく御願い致します。

この説明についてはよく分かりました。どうも有り難うございます。ただ、元の質問にもあるように、私がよく分からなかったのは #816 の方なのです。「象徴フラグメント」とか「エッセンス」とか、そこにぶら下がっているフラグメントが一体どこから来たものなのか?

「名が体を表す」ようなタイトルを付ける

一つ、以前から感じていたこととして、magicianさんの作るフラグメントのタイトルがうまく「名が体を表す」形になっていないのかなというのがあります。magicianさんが個人的に了解している結論のようなタイトルになっていますが、内容や文脈をうまく圧縮したものになっていないことがあるので、つながりとタイトルだけを追いかけたときに意味不明な感じになっていることが多いです。
タイトルをつけるのであれば、タイトルだけのつながりでそのつながりの意味が自然に想像できるようになるのがベストです。もちろん、個人的な情報管理をしている場合に、これを常に実現するのは簡単ではないですが、、、他人が読むことを想定しているのであれば、その辺に留意すると良いのではないかと思います。