共通の本を読むことで共通のコンテクストは得られるのか?

文脈を把握するということと、丸暗記するということは、全く違うことですよ。為念。
文脈を把握すること=丸暗記ではないのは理解できますが、文脈を把握する、文脈を共有する手段の1つとして、丸暗記も1つの手段として有効ではないでしょうか?
単純に、同じ書籍、同じ教科書を読んだ人同士は、その中に登場した言葉や内容に対して、共通のコンテクストを持つことができる、と考えるのは間違っていますか?
(その言葉が使われた会話の流れや、発信者のバックグラウンド、その言葉が話されている時代背景など、1つの言葉の裏には、たくさんの違った種類のコンテクストが存在していることは理解しています。1冊の本を読んだだけで、その言葉のコンテクストの全てを把握できるとは、私も考えていません。念の為)
この時点で間違っているのであれば、私が何か根本的に勘違いをしているのだと思います。
もしくは、作者様が"本を読む","本を理解する","本の内容を丸暗記する"という言葉の使い分けに置いて、"同じ本を理解した"人同士には共通のコンテクストが発生するが、"同じ本を丸暗記した"人同士には共通のコンテクストは発生しない、と仰られるのであれば、それに関しては、私が検討中のコンセプトの1つなので、整理できましたらお伝えしたいと思います。

無理矢理に既存の言葉を当てはめる危険性

いつも長文を丁寧に読解して頂きまして、本当にどうもありがとうございます。お風呂の中で改めて考えていたところ、いろいろヒントが見えてきました。
どうやら、又「自分の中に新しいコンセプトの芽(新しい言葉が必要)が生まれているのに、それに気付かずに無理矢理に既存の言葉を当てはめることで、自他共に誤解を招いてしまう」という状況だったみたいです。marubinottoさん(今後はこう呼ばせて頂いても宜しいでしょうか? それともDaisukeさん、それともMoritaさんの方が良いでしょうか? ‏)のピンポイントなアドバイスによって、また1つ自分の頭の中を整理するきっかけを頂きました。本当にどうもありがとうございます。
暗記、という言葉の周辺に関して、整理できたらお伝えできればと思います。

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marubinottoでいいですよ。

『ドアコン(仮称)』(ID801番) → ...

 まさにその瞬間、彼の脳裏にハッとイメージが浮かんだ。そのイメージこそ、今彼の脳内宇宙を駆けめぐっている疑問への答えそのものである。と、彼は理屈抜きに確信していた。彼はそのイメージを脳内宇宙で何度も反復し、暗唱し、そのイメージを確かな言葉、キーワードとしてから、おもむろに明かりをともした。のっそりと体を起こすと、枕元から愛用のメモ帳を取りだしお気に入りのペンでそのイメージのキーワードを書き記した。
「――――」と。
 そこで、彼はふと思いとどまった。このイメージは本当にキーワード、問題を解く鍵そのものなのだろうか。むしろ、ドア、入り口のようなものではないか。そう思い立った瞬間彼の脳内宇宙に知的快感が波となって押し寄せた。新たなイメージ達が、次から次へと波に乗って彼の脳内宇宙に押し寄せてきた。
 ドア。入り口。鍵。ゴール。ドアは1つか。いや複数だ。ドアの集合体。コンプレックス。ドアコンプレックス。シネコン。シネマコンプレックス。ドアコン。ドアコン、これこそが新しいキーワードだ。いや、またキーワード? それじゃあ矛盾する。座標。ID。固有識別番号。無感情。先入観の排除。キーワードは先入観を招き、想像力を阻害する。本当にこのイメージはドアコン、だけなのか。驚異の部屋。(博物学)。新鮮な素材。たくさんの様々な種類の新鮮な素材。市場。食材の市場。青空市場。うん、やっぱり多数のイメージがある。座標。そうこのドアの座標だけがあればいい。その座標からたくさんの四次元ドアが広がっている。! タグフラグメント。名前のないタグ。フラグメント番号を機械的にIDとして割り振れば。やっぱりPiggydbはスゲェ。スゲェよ。タグフラグメント。名前のない括り。タグフラグメント。・座標ID。・ドアコンプレックス。・キーワードは付けない。・ゴールではなくこれが、入り口。・先入観を排除し、想像力の広がりを。・食材の市場。タグフラグメント。・座標ID。・ドアコンプレックス。・キーワードは付けない。・ゴールではなくこれが、入り口。・先入観を排除し、想像力の広がりを。・食材の市場。タグフラグメント。……。
 ひとしきりイメージの波が落ち着いた後、彼はまたそのイメージを思い返した。
 一度、二度。
 最初からもう一度。
 どんな風に連想したのか、ゆっくりと思い出した。
 ふーっと深呼吸を挟む。
 そして、もう一度イメージを反芻する。
「……よし、もう大丈夫だ」
 彼は、自分の脳内宇宙が、最低限の落ち着きを得て、仮組みではあるがイメージを構造的に記憶できたことに安堵感を覚えてペンを取った。その時、彼の脳内宇宙に知的快感の余韻はもう無かった。彼の脳内宇宙では大迫力のビッグウェーブだったが、現実世界の紙にインクを引けば、それがとてもちっぽけなものに見えた。それが文字だろうが、絵だろうが、図解だろうが、皆同じ事だ。A6のメモ帳の見開き1ページ。客観的に見てまさに手のひらサイズだ。
 客観的。
 そう、彼はもう自分のアイデアを客観的にみれるまでに落ち着いていた。先ほどまでの彼は、自分が天才だと錯覚していたが、今はもう正常だ。彼は自分が凡人であることをよく知っている。あいにく、彼は酒を飲んだことがなかったが、『酔いが覚める』とはまさにこういう気分を指すのだろう。
 だが、彼は知ってもいた。複雑怪奇で入り組んだアイデアの方がいかにもかっこよさそうだが、現実に役に立つのは、短く小さく圧縮された情報であること。シンプルで分かりやすい組み方をされたアイデアであること。
 そして、分かっていた。それでもそのアイデアは現実の世界において、とてもちっぽけなものであるとも。現実には、同じように圧縮され、シンプルに組み立てられた情報がたくさん集まって、本になり、辞書になっていることを。だから彼は謙虚に素直に、そしてポジティブに思った。
「良い道に向かって、一歩前に進めた。今日は良い日だなぁ」

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作者注。

この描写は長いです。後半部分は1フラグメントに1コンテキスト、という原則から見たら蛇足。後半部分があることで、複数のコンテキストが存在してしまっている。ただ、ストーリーの余韻としてはあっても良いかなと思い、残しました。

また、後半部分のコンテキストも知的生産に関する素敵なコンテキストである気がしていますし、また前半部分のコンテキストとのつながりも大事に記録しておきたいとも感じています。

文脈って単なる事実の列挙じゃないですよ。