名前と文脈の表裏一体構造

名前やタイトル、あるいはキャッチフレーズの重要性は理解しています。ただ、それは単一では存在し得ないということですね。すごいキャッチフレーズを生み出せるのは、膨大な文脈を把握しているからこそだと思います。であるが故に、魂がこもる、と。その表裏一体の構造をいかに表現するかというのが(今のところの)Piggydbのテーマです。
プロセスとしては、情報収集から、検討、発見、名付けというのがボトムアップの知識構築なので、名付けが「過程でありゴールの1つ」だというのはまさにその通りだと思います。
また、名前にフォーカスするか文脈にフォーカスするかというのは、状況によって変わってきますよね。
例えば、ある種の狭いコミュニティの中では高文脈(ハイコンテクスト)な状況が生まれますので、名付けの重要性にはなかなか思い至らなくなる。名付けというのは、それまでコミュニティの中で積み上げてきたコンセプトの組み替えになるので、少なからず抵抗も生まれます。
一方、低文脈(ローコンテクスト)な状況、つまり多くの不特定多数の聴衆にアピールするためには、分かりやすい名前やキャッチフレーズが重要になる。例えば、「造反有理」などは20世紀に生まれたスローガンの中でも最大級ものものです。ただ、動員された多くの人はその文脈を理解せずに(あるいは理解しないことを狙ったとも言えますが)、大変な悲劇を引き起こしてしまった。

ハイコンテクストとローコンテクスト

どうも673です。なるほど、仰るとおりですね。私の考えも上手く伝わっているようで何よりです。
ハイコンテクスト、ローコンテクスト、面白い言葉を教えて頂きました。概念としてはなんとなく想像できていましたが、改めてキーワードにしていただけると、そのキーワードの裏側の文脈を"ググって"調べることができるのでありがたいです。
[#654] コンセプトの文脈を支えるタグフラグメントの二層構造 で述べられたいたこと
このブログの筆者であるyama氏は、キーワードを中心にした共同作業でのアイデア創造手法(KJ法の変形)について、
私をして違和感を持たせたというのは、おそらく、提出させられた「キーワード」の裏にあるアイディア、そしてその背景、文脈が全く切り取られたかたちで議論の俎上にあげられたということだったように思う。... しかし、複数の参加者が、突然、「キーワード」あるいは「一行見出し」のみをならべ、相互の関連を考察しようとしても、何も新しい発想など生まれる筈がない。「一行見出し」がそれに代表されているリッチな内容が参加者間で了解されていないからだ。こうした議論が、表面的なもので終わるのは不思議なことではない。
という感想を述べておられますが、これは全くその通りであると私も思いました。キーワードや見出しの質にもよるとは思いますが、発想のために重要なのはその背後にある膨大な文脈の方であって、キーワードはあくまで結果に過ぎないと思うのです。
での問題を解決する1つの手助けになるのが、"キーワード"を個々が納得できるまで"調べる"、"文脈を把握"した後の行うことではないでしょうか。
まあ、KJ法の話はこのぐらいにして、Piggydbでの話に戻しますね。
また、名前にフォーカスするか文脈にフォーカスするかというのは、状況によって変わってきますよね。
Piggydbはどちらの状況にも対応できるツールですようね。特に名付けができていない段階で、文脈にフォーカスして思考できるのは、Piggydbの優れた長所の1つだと感じています。