名前には意味があり魂がこもる

  どうも673です。興味深い記事が多いので、単純にpiggydb.jpを読むのも好きなのですが、今回特に気になった記事があったので、コメントさせて頂いています。
キーワードや見出しの質にもよるとは思いますが、発想のために重要なのはその背後にある膨大な文脈の方であって、キーワードはあくまで結果に過ぎないと思うのです。
 この考え方には目から鱗でした。なるほど、その通りですね。
 ただし、これは私の個人的な考えなのですが、Piggydbを使う上では、そこで思考停止せずに、更にもう一歩の創造的労力をかけるべきではないかなぁと。
 私は普段から出来る限りフラグメントにはタイトルを付けるようにしています。一言で象徴できるキーワードなんてめったに思い浮かばないので、大抵は短めの文章になりますが、それでも"名前には意味があり魂がこもる"と思って名付けています。
 もちろん、あきらかに"つながり"のあるフラグメントの補足的なフラグメントだったり、また、アイデアストックとして、まだ頭の中で整理が出来ていないフラグメントは無題でささっと保存していくこともあります。
 それでも、少なくともタグフラグメントに育てたいと思っているようなフラグメントには名前を付けていった方が良いと思います。それは、脳内での記憶の問題と、Piggydbでの俯瞰的視野の問題があるからです。
 特に後者の問題で、なかなか現状のディスプレイの解像度ではフラグメント本文を開いた状態で多くのフラグメントを俯瞰で見ることは難しいと思います。ある程度グループが思い浮かんでいる状態ならともかく、シャッフルなどを駆使し今まで気付かなかった新鮮なグループ分けを探しているときは、やはりタイトルを並べて俯瞰でみたくなると思います。
 結局の所、(タグ)フラグメントのタイトルを考えるという事自体が、Piggydbを使うスタート地点ではなく、過程でありゴールの1つなのだと私は考えています。私の例では、"#eureka"の段階ではタイトル無しでスタートすることもまれにありますが、intelligenceタグにまとまった段階では必ずタイトルを付けます。(ただしキーワードではなく文章、キーテキストになっていることも多いです)
 ただし、名前を付けることで、そのフラグメントの可能性が無意識に固定されてしまうこともあるので、その点は注意が必要だとは感じています。
 又、以上の話はあくまで個人的な思索での話であり、複数人でのブレーンストーミングの事は想定していません。

名前と文脈の表裏一体構造

名前やタイトル、あるいはキャッチフレーズの重要性は理解しています。ただ、それは単一では存在し得ないということですね。すごいキャッチフレーズを生み出せるのは、膨大な文脈を把握しているからこそだと思います。であるが故に、魂がこもる、と。その表裏一体の構造をいかに表現するかというのが(今のところの)Piggydbのテーマです。
プロセスとしては、情報収集から、検討、発見、名付けというのがボトムアップの知識構築なので、名付けが「過程でありゴールの1つ」だというのはまさにその通りだと思います。
また、名前にフォーカスするか文脈にフォーカスするかというのは、状況によって変わってきますよね。
例えば、ある種の狭いコミュニティの中では高文脈(ハイコンテクスト)な状況が生まれますので、名付けの重要性にはなかなか思い至らなくなる。名付けというのは、それまでコミュニティの中で積み上げてきたコンセプトの組み替えになるので、少なからず抵抗も生まれます。
一方、低文脈(ローコンテクスト)な状況、つまり多くの不特定多数の聴衆にアピールするためには、分かりやすい名前やキャッチフレーズが重要になる。例えば、「造反有理」などは20世紀に生まれたスローガンの中でも最大級ものものです。ただ、動員された多くの人はその文脈を理解せずに(あるいは理解しないことを狙ったとも言えますが)、大変な悲劇を引き起こしてしまった。

ハイコンテクストとローコンテクスト

どうも673です。なるほど、仰るとおりですね。私の考えも上手く伝わっているようで何よりです。
ハイコンテクスト、ローコンテクスト、面白い言葉を教えて頂きました。概念としてはなんとなく想像できていましたが、改めてキーワードにしていただけると、そのキーワードの裏側の文脈を"ググって"調べることができるのでありがたいです。
[#654] コンセプトの文脈を支えるタグフラグメントの二層構造 で述べられたいたこと
このブログの筆者であるyama氏は、キーワードを中心にした共同作業でのアイデア創造手法(KJ法の変形)について、
私をして違和感を持たせたというのは、おそらく、提出させられた「キーワード」の裏にあるアイディア、そしてその背景、文脈が全く切り取られたかたちで議論の俎上にあげられたということだったように思う。... しかし、複数の参加者が、突然、「キーワード」あるいは「一行見出し」のみをならべ、相互の関連を考察しようとしても、何も新しい発想など生まれる筈がない。「一行見出し」がそれに代表されているリッチな内容が参加者間で了解されていないからだ。こうした議論が、表面的なもので終わるのは不思議なことではない。
という感想を述べておられますが、これは全くその通りであると私も思いました。キーワードや見出しの質にもよるとは思いますが、発想のために重要なのはその背後にある膨大な文脈の方であって、キーワードはあくまで結果に過ぎないと思うのです。
での問題を解決する1つの手助けになるのが、"キーワード"を個々が納得できるまで"調べる"、"文脈を把握"した後の行うことではないでしょうか。
まあ、KJ法の話はこのぐらいにして、Piggydbでの話に戻しますね。
また、名前にフォーカスするか文脈にフォーカスするかというのは、状況によって変わってきますよね。
Piggydbはどちらの状況にも対応できるツールですようね。特に名付けができていない段階で、文脈にフォーカスして思考できるのは、Piggydbの優れた長所の1つだと感じています。