整理の過程で発見したコンセプトをデータベースの中心に据えていく

camiさん、素晴らしいコメントありがとうございます。これは参考になります。
なるほど重要なのはアクセシビリティなんですね。これもまた野口悠紀雄氏の発想で言えば「ポケット一つ原則」を実現するものだと言えるのかな。情報を一箇所に集約できて、あとはくまなくキーワード検索できれば、情報管理のニーズは一通り満たせると。
そもそもEvernoteのノート同士がリンクできるようになったのも最近のことです。
なるほど、そうなんですね。探しやすくするためにリンクやタグなんかで整理するのは、ある程度までは便利に使えたとしても、情報量が増えると費用対効果が薄れていく、結局はキーワード検索がきちんと機能していればよい、という状態になっていくと私は考えています。Evernoteの場合は、input-and-searchが基本で、organizeはあくまでオプショナルになる。なのでorganize機能を充実させるのは、いたずらに複雑性を増すだけなのかなあと。
理屈としては検索性のための整理は不毛だと証明されていたとしても、そもそも整理が好きな人がいるんですよね。しかもWebサービスとかオンラインソフトなどを熱心に使う人たちは、比較的そのような傾向があるように思います。Evernoteがフィードバックをさらうとそういった声が目立つというのはあるのかもしれません。
しかし、こういったことを言うと語弊があるかもしれませんが、Piggydbとしても整理好きをターゲットにすることはできないのですよね。それは理屈として生産的な作業ではないと分かっているからなのです(全ての分類に恣意性があることが数学的に証明されている)。
なので、検索のための整理ではなくて、整理の過程で発見したコンセプトをデータベースの中心に据えていくという(タグフラグメントとして)、新しい情報管理のあり方を提案できればと思っています。つまり、分類の「恣意性」を逆手に取るわけです。「分類・整理を奨励」と書きましたけど、今までの整理・分類とは目的が異なるというわけです。分かりやすく言えば、発見したコンセプトを蓄積してマイ辞書を作るということですね。
基本的に、ただ整理・分類機能があるだけだと、大体の場合、ユーザーは集めた情報を自分が知っている既存の知識体系に当てはめていくだけになります。タグなどがいかにもありそうなカテゴリになるわけです。このような分類の一貫性を、データが増え続ける中でも、ずっと維持し続けるのは費用対効果が悪すぎるということで、そのプロセスを逆転させたいというのがPiggydbの狙いです。
そう考えると、まだまだ進化の余地はあるといいますか、まだ未熟すぎるなあというのが正直なところなのです。

camiです。
Evernoteの場合は、input-and-searchが基本で、organizeはあくまでオプショナルになる。なのでorganize機能を充実させるのは、いたずらに複雑性を増すだけなのかなあと。
これはその通りだと思います。
Evernoteの講習会が開かれており、そのまとめブログを眺めることもあるのですが、整理をするなら「複雑な工夫」が必要になっているという印象を受けます。
複雑な工夫をせずに、自然にできるのが理想なんですが、数学的に否定されてしまっていると…。
私事になりますが、Piggydbを使って、「整理」と「学習」できたと感じられたことを一つ。
私には現在、要介護の身内がいます。
金銭的な問題も抱えています。
そして私自身も病院通いの生活です(以前、なかなかコメントしにくいと言ったのはこれが原因でした…)。
まず、一つの問題を解決しようと、対処方法、参考資料などを集めていきました。
そうしているうちにタグフラグメントが浮き出てきて、ある程度の形になりました(「問題の整理」)。
それを、現在抱えている各問題に対して行ったところ、共通するフラグメントが見つかりました。
「もしかしたらこれが核になるかもしれない」と思い、それをまたタグフラグメント化して、付近のフラグメントにタギングしていくと、解決の糸口が見えてきました。
そうこうしているうちに「自分を守りつつ介護する方針」が立ちました。
これはPiggydbのおかげです。
非常に感謝しております。
…で、この流れこそが「整理に対する恣意性」と「学習」ということでいいのでしょうか?
ただ、それはもしかしたら「同時期に複数の問題を抱えていた」という認識があったからこそできたのかもしれません。
たとえば各問題が別々の時期に発生し、時系列として遠く離れたフラグメントからヒントを得なければならない状況だと、この方針を見つけ出せなかった可能性もあります。
結局のところ、そういう関連性を見つけ出すのは脳内の作業です。
そう考えると、距離の大きなフラグメント同士の関連に気付くためには、やっぱり大局的な視点が欲しい気がします。
タグフラグメントを駆使するにしても、タグフラグメントの量自体が増えすぎるという問題も発生しますし。
情報の量と視認性はトレードオフの関係になるわけで、難しい問題なんですよね。

「蓄積」と「大局的な視点」 → ...

camiさん、
介護問題、私も一度覚悟を決めた後にその身内が亡くなるという経験をしているので他人事とは思えませんが、回り回ってPiggydbというソフトウェアがそのような形で、ささやかにでもお役に立てたということであれば、これ以上嬉しいことはありません。
結局のところ、そういう関連性を見つけ出すのは脳内の作業です。
そうなんですよね。人間の能力を馬鹿にしてはいけないなと思います。Piggydbと似たようなアイデア創造の手法としてKJ法というものがありますが、確か立花隆氏だったと思いますが、そんなまどろっこしいことをしなくても人間は頭の中で同じようなことをやっているという批判がありました。
と思って、ググったら、やはり見つかりました。
KJ法の原理は非常に重要なことだということはわかっていた。しかしそれは、別に川喜田二郎に教えられるまでもなく、昔から多くの人が頭の中では実践してきたことなのである。別に珍しいことではない。KJ法のユニークなところは、これまでは個々人の頭の中ですすめられていた意識内のプロセスを意識の外に出して一種の物理的操作に変えてしまったことにある。「頭の中であれこれとりとめもなく考える」というプロセスをさまざまの概念を記した紙片をあちらに動かしたり、こちらに動かしたりという物理的運動に変える。それによって、これまで個々人の頭の中という無形の作業空間しかなかったものが、一つの物理的作業空間を得ることによって、集団的作業が可能になる。作業手順を定型化することで、万人向けのシスティマティクな方法論が確立する。... KJ法のごとき発想、つまり、思考過程を普遍的かつシスティマティクな物理的作業手順に分解することによって、これまで意識内作業であったものを物理的作業に置き換えることができるという発想は、コンピュータにはふさわしいが、人間にはあまり向かない。
コンセプトを発見するというプロセスにおいて、人間にはそれまでの長い経験に基づく直感というものもありますし、システムができるのはあくまで補助的な部分だけだと思います。ただこの補助の機能としてcamiさんが言われる「大局的な視点」をどうやって実現するかという部分においては、まだまだ工夫の余地はあると思います(スライダーによるズームもこの観点からの機能でした)。
むしろシステムとして重要なのは発見したコンセプトを「蓄積」する方かなとも思います。人間の記憶には限界がありますので、データベースがある程度以上に成長すると、脳のキャパシティを超えた部分で、さらなるコンセプトの発見をサポートできる可能性が高まるのではないかと期待しています。
蓄積した情報をどう見せるかについては、いくつかアイデアがありますので、今後のバージョンでそれらを実装していくことになると思います。「蓄積」と「大局的な視点」がうまく両立できればKJ法の限界も突破できるのではないかと。

昇格したタグフラグメントは象徴であり、価値はそれが象徴する中身そのものにある → ...

いや、きっと「"昇格したタグフラグメント※1"で括られた"つながり”によって構造付けられたフラグメント群の集合」の価値の方が、「"昇格したタグフラグメント"」そのものよりも価値があるのでしょう。言い換えるならば、"アイデアを実現する過程で蓄積した文脈"の方が、"アイデアそのもの"、"アイデアのネーミング"、"アイデアの説明"よりも価値があるということではないでしょうか?
つまりこれは、価値があるのは、アイデアの方なのか、それともそれを実現する過程で蓄積した文脈の方なのか、という話ですね。
これに対して、文脈重要派が、アイデアは実現しなければ価値がない、という場合、それはいいアイデアを実現すると必然的に価値のある結果が得られるという意味ではなく、蓄積された文脈の価値によって、結果の重要性が左右されるという意味になります。
  • #785 「アイディアの価値」

※1"つながり"によって構造付けられたフラグメントが"タグフラグメント"化したタグフラグメントを、ここでは仮に"昇格したタグフラグメント"と呼び、"生まれつきのタグフラグメント"と区別する。
※2過去のPiggydb.jpで使われていた単語に合わせて、変身を昇格に修正。