EvernoteとPiggydbの違いについて(cami)

お久しぶりです。camiです。
Evernoteの強みは結局のところ、アクセシビリティなんですよね。
どこからでも書き込めるし、どこからでも読み込める。
アップデートを追っていますが、共有機能や、高速化、他ツールとの提携などに重点が置かれ、目新しい機能がなかなかあらわれません。
Evernoteを使っているとわかるんですが、最終的には「自分用の検索エンジン」になってしまうんですよね。絞り込み済みのGoogleというか。
つまり、「見つけやすいカードの集まり」というイメージです。
そもそもEvernoteのノート同士がリンクできるようになったのも最近のことです。
「箱とカードを用意してやるからあとは勝手に使ってくれ」、という制作方針なのは間違いないでしょう。
それをいかに「整理するか」「関連性を見つけるか」と工夫している方もいるのですが、それなら最初から「整理」を目的としたツールを使った方がいいのでは?と思うわけです。
Piggydbが何が違うかと言えば、Piggydbは分類・整理をまあ奨励しているわけです。しかし、それは情報を探しやすくするためではありません。分類・整理を通じて利用者が学習するためです。
私がPiggydbに対して魅力を感じているのはこの部分です。
Evernoteがカードの集まりだとすれば、今のPiggydbはパズルのピースだと思います。
パズルを組み立てていると、部分的にでも景色が見えてきますよね。
それだけでも他のツールと一線を画しています。
現状からさらに進化させるのは簡単ではないでしょうが、画面を分割して比較できるようにしたり、さらに視認性を高めて、高い位置からパズルの全体像を見わたせるような工夫など、改良の余地はまだまだあると思います。
何だかうまくまとめられませんでしたが、EvernoteとPiggydbの両方を使い比べてきた私が感じたことです。

整理の過程で発見したコンセプトをデータベースの中心に据えていく

camiさん、素晴らしいコメントありがとうございます。これは参考になります。
なるほど重要なのはアクセシビリティなんですね。これもまた野口悠紀雄氏の発想で言えば「ポケット一つ原則」を実現するものだと言えるのかな。情報を一箇所に集約できて、あとはくまなくキーワード検索できれば、情報管理のニーズは一通り満たせると。
そもそもEvernoteのノート同士がリンクできるようになったのも最近のことです。
なるほど、そうなんですね。探しやすくするためにリンクやタグなんかで整理するのは、ある程度までは便利に使えたとしても、情報量が増えると費用対効果が薄れていく、結局はキーワード検索がきちんと機能していればよい、という状態になっていくと私は考えています。Evernoteの場合は、input-and-searchが基本で、organizeはあくまでオプショナルになる。なのでorganize機能を充実させるのは、いたずらに複雑性を増すだけなのかなあと。
理屈としては検索性のための整理は不毛だと証明されていたとしても、そもそも整理が好きな人がいるんですよね。しかもWebサービスとかオンラインソフトなどを熱心に使う人たちは、比較的そのような傾向があるように思います。Evernoteがフィードバックをさらうとそういった声が目立つというのはあるのかもしれません。
しかし、こういったことを言うと語弊があるかもしれませんが、Piggydbとしても整理好きをターゲットにすることはできないのですよね。それは理屈として生産的な作業ではないと分かっているからなのです(全ての分類に恣意性があることが数学的に証明されている)。
なので、検索のための整理ではなくて、整理の過程で発見したコンセプトをデータベースの中心に据えていくという(タグフラグメントとして)、新しい情報管理のあり方を提案できればと思っています。つまり、分類の「恣意性」を逆手に取るわけです。「分類・整理を奨励」と書きましたけど、今までの整理・分類とは目的が異なるというわけです。分かりやすく言えば、発見したコンセプトを蓄積してマイ辞書を作るということですね。
基本的に、ただ整理・分類機能があるだけだと、大体の場合、ユーザーは集めた情報を自分が知っている既存の知識体系に当てはめていくだけになります。タグなどがいかにもありそうなカテゴリになるわけです。このような分類の一貫性を、データが増え続ける中でも、ずっと維持し続けるのは費用対効果が悪すぎるということで、そのプロセスを逆転させたいというのがPiggydbの狙いです。
そう考えると、まだまだ進化の余地はあるといいますか、まだ未熟すぎるなあというのが正直なところなのです。

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camiです。
Evernoteの場合は、input-and-searchが基本で、organizeはあくまでオプショナルになる。なのでorganize機能を充実させるのは、いたずらに複雑性を増すだけなのかなあと。
これはその通りだと思います。
Evernoteの講習会が開かれており、そのまとめブログを眺めることもあるのですが、整理をするなら「複雑な工夫」が必要になっているという印象を受けます。
複雑な工夫をせずに、自然にできるのが理想なんですが、数学的に否定されてしまっていると…。
私事になりますが、Piggydbを使って、「整理」と「学習」できたと感じられたことを一つ。
私には現在、要介護の身内がいます。
金銭的な問題も抱えています。
そして私自身も病院通いの生活です(以前、なかなかコメントしにくいと言ったのはこれが原因でした…)。
まず、一つの問題を解決しようと、対処方法、参考資料などを集めていきました。
そうしているうちにタグフラグメントが浮き出てきて、ある程度の形になりました(「問題の整理」)。
それを、現在抱えている各問題に対して行ったところ、共通するフラグメントが見つかりました。
「もしかしたらこれが核になるかもしれない」と思い、それをまたタグフラグメント化して、付近のフラグメントにタギングしていくと、解決の糸口が見えてきました。
そうこうしているうちに「自分を守りつつ介護する方針」が立ちました。
これはPiggydbのおかげです。
非常に感謝しております。
…で、この流れこそが「整理に対する恣意性」と「学習」ということでいいのでしょうか?
ただ、それはもしかしたら「同時期に複数の問題を抱えていた」という認識があったからこそできたのかもしれません。
たとえば各問題が別々の時期に発生し、時系列として遠く離れたフラグメントからヒントを得なければならない状況だと、この方針を見つけ出せなかった可能性もあります。
結局のところ、そういう関連性を見つけ出すのは脳内の作業です。
そう考えると、距離の大きなフラグメント同士の関連に気付くためには、やっぱり大局的な視点が欲しい気がします。
タグフラグメントを駆使するにしても、タグフラグメントの量自体が増えすぎるという問題も発生しますし。
情報の量と視認性はトレードオフの関係になるわけで、難しい問題なんですよね。