マインドマップについて

最近、Piggydbのユーザーさんに以下のような記事を紹介して頂いて、マインドマップについてちょっと考える機会がありました。まだ考えがまとまっているわけではないのですが、思うところをつらつらと書いてみます。
ちなみに上記の記事にはマインドマップを作るツールの一覧が紹介されているので、興味がある人にはとても有益な記事だと思います。
マインドマップという言葉は既に大変な売り物になっていて、インターネットや書籍上には美麗辞句が溢れています。コンセプトがシンプルで、グル的な人物がいて、コミュニティが出来ていて、門番的な人間があちこちにいる。こういう場合に「マインドマップとは何か」ということについて書くと罠にはまるので、そこに言及するのは避けて、そのコンセプトの構成要素から重要だと思えるものを「適当に」ピックアップして、それらについて考えてみることにしました。
以下が、マインドマップから取り出したコンプセプトの一覧です。
そして、以下はそのコンセプトから考えられる特徴の一覧です。
以下、Piggydbとの比較で検討してみます。
ツリー構造での発想法は、まずセントラルイメージという根となるテーマを決めることが前提で、そこから連想を広げていくという方法です。発想の方法としてはトップダウン式です。Piggydbでは、既存の情報から連想をしながら情報を入力していくことも可能ですが、最初は関係を意識せずランダムな情報を入力することもできます。そして情報と情報の間の関係は後から定義することができます。つまりトップダウン、ボトムアップ、どちらでも可能であると言えます。ただし、Piggydbとしてはどちらかと言えば、ボトムアップ式の方法にフォーカスしていきたいと考えています。まだまだ機能としては完全に表現しきれていないのが現状ですが。
興味深いのは発想方法の相違で、根を起点とするツリー構造において、発想方法の基本は「連想」ですが、Piggydbの場合は、もちろん連想式も可能なのですが、既に収集された情報の中から「つながり」を見つけるのが、発想法の基本になります。これはKJ法で言うところの「異質のデータの組み合わせから何かを発見する」プロセスです。
データの構造で比較すると、Piggydbはネットワーク構造を採用しています。ネットワーク構造の利点としては、情報を多次元に構成することができるという表現力の高さが挙げられます。同じ情報を複数の視点から眺めることができますし、あるいは同じ情報を違う文脈で再利用することができます。反面、ツリー構造と比較して複雑になることは避けられませんし、ネットワーク構造には中心がないので、知識全体としてはフォーカスがボヤけてしまう傾向があります。
ツリー構造には表現力を犠牲にしただけの利点があります。まず、多くの人にとって親和性の高い構造であること、そしてツリーというのは、生の情報の複雑さを縮減させる機能を持っていて、情報の把握がとてもしやすくなります。ということは反面、複雑な情報の一つの側面しか見れないというデメリットもあるわけですが。その他、今何が重要なのかということにフォーカスしやすく、議論や発想が発散するのを避けることができます。そもそもツリー構造だけでも、見晴らし良く情報を整理できるわけですが、その特徴をさらに強力にするための仕組みとして、放射構造やキーワード、視覚的イメージがあるということではないかと考えています。
視覚的なイメージについては、Piggydbに最も足りないと思える部分で、このようなビジュアルに訴えかけるような効果をどうやって取り入れていくかは今後の課題です。ただどちらかと言えば、キーワードではなくて、ある程度の長さのテキストを単位とすること、Webページというフォーマットに従って、情報を上から下に配置するレイアウトが基本になっていることなどから考えると、フラグメントの見晴らしを良くするのには限界があります。それを補完する知識の地図として機能するものが「階層タグ」だと捉えると良いと思います。タグのセットは知識の最終成果として、マインドマップのようなものになるようにする。そういう意味でまさしくボトムアップの知識構築になるのではないでしょうか。
ツリー構造とネットワーク構造、それぞれ適材適所があるので、並列に比較すると誤解を招く可能性があるかもしれません。両者は、情報整理の入り口としてツリー構造、それらを蓄積、統合するデータベースとしてネットワーク構造、そのデータベースから情報を取捨選択してスナップショットを作るためにまたツリー構造、という感じで使い分けられます。
しかし、ツリー構造を礼賛しすぎる傾向に一石を投じたいという考えもあります。例えば、読書録をマインドマップでまとめると効果的だという話がありますが、複雑な内容を主張している書籍を分析すると、必ずしもツリーが有効だとは限らないと思うことがあります。書籍の内容をその構造のままツリーでなぞったとしてそれで本当に理解したことになるのか、以前にも書いたような記憶がありますが、構造を一旦解体して再構成することによって、そうやって自分なりにパラフレーズすることによって、より深い理解と洞察を得られるようになるのではないか、とそんなことを考えたりしています。