1. 頭の中が整理されて理解の助けになっているように感じられる
理解というのはメタ的な領域のことを指すと思うので、これはPiggydbが(というより私が)重要だと思う部分です。#241でも言及しましたが、Piggydbでタグとつながりを分けているのは、メタ領域と具象領域を意識的に行ったり来たりできるようにしたいということがあるからです。当面はこのテーマをいかに浸透させるかが課題になると思っています。というのも、この二つの違いというのが一般的には案外理解されていないかもしれない、という印象を持っているからです。実はプログラミングの世界でもこの二つが混同されるケースが多いというのは比較的有名な問題になっていたりします。こういった混同をできるだけ避けるようにうまく誘導するのが目標です。
2. キーワードを失念することなくいつでもこのタグで情報が取り出せるという安心感が感じられる
これも意図としては、知識の地図を作ろうということなので、その時点では恣意的かもしれませんが、1と相通ずる部分があると思います。本当に恣意的だったのかどうかは事後的にしか分からないということもあります。後になって自分が漠然と考えていたことが形になってくる可能性がありますし。
しかし、こうやって考えると「キーワードとタグを混同しない」というのは、ちょっと敷居の高いルールになっちゃいますね。ちょっと考え直さないと。
何が問題になるのかと改めて考えてみると、やはりタグの数が増えていくに従って全体を把握できなくなり、結果的にタグでの検索を利用しなくなる、結局のところ全文検索だけを使うという状態になることでしょうね。こうならないためにはやはりタグで何を表現したいのか、何のためにタグ付けするのかを意識する必要があるのではないかと思っていて、それが「キーワードとタグを混同しない」というルールにつながったりしています。

全文検索を多用しない理由

何が問題になるのかと改めて考えてみると、やはりタグの数が増えていくに従って全体を把握できなくなり、結果的にタグでの検索を利用しなくなる、結局のところ全文検索だけを使うという状態になることでしょうね。こうならないためにはやはりタグで何を表現したいのか、何のためにタグ付けするのかを意識する必要があるのではないかと思っていて、それが「キーワードとタグを混同しない」というルールにつながったりしています。
少なくとも私にとってはキーワード=タグですね。全文検索はあるはずの情報が出てこないとき、いわば非常時にしか使いません。
<理由>
  1. 検索キーワードには揺れが生じるから(「こうもり問題」を「コウモリ問題」で検索しても出てこない)
  2. 検索して抽出したフラグメントのグループは刹那的だから(グループが構造化されていない、キーワードの揺れ・失念によって再び同じグループが目の前に出てくるとは限らない→自分の記憶に固定するのに利用しにくい)
  3. ファイルフラグメントの中身は検索できない
ですのでシングルユーザ環境では必ずタグを付けます。しかもあまり悩まないでできれば複数つけます。それが将来どう整理されていくのかフラグメント作成段階では予想がつきにくいから。
そういう使い方をすると、ご指摘のようにタグによる全体把握が難しくなり、タグでの検索が煩雑になり、使われないタグも生じます。それは自分で整理するしかありません。しかし、#253でも申し上げたように、Piggydbの場合はそれが比較的低コストで実現でき、自分の頭の整理になります。
最初から入力するフラグメントコンテンツがある程度予想がつく場合、またはマルチユーザの場合のようにコンテンツの完全なコントロールはできないがownerが取り出したい(整理したい)話題がある程度決まっているようなときには、美しく一貫性のあるタグツリーを設計することは可能かもしれません。

タグとつながりの使い分け → ...

後でいくらでも整理できるので、とにかく最初はどんどんタグ付けしていく、というのは実は私も当初考えていまして、ブログにもそのように書いた記憶があります。ですので、整理することによってタグがうまく機能している限りは全く問題ないと思います。
しかし、私の場合はそれでタグ管理が破綻してしまったという経験がありまして、それ以降は慎重にタグ付けするようになったという経緯があります。
「必ずタグを付ける」理由として、「その情報が取り出せるという安心感」を得るためだということですが、情報へのアクセスを保つためには、タグだけではなくて、つながりを作ってネットワークを維持する方法もあります。例えば、EBtはそのように活用されていますよね?
「理解の助け」となるタグと「情報が取り出せるという安心感」を与えるタグ、というのは微妙に両立しない領域があると感じていまして、それがタグとつながりの使い分けに繋がるのではないかと漠然と考えています。後者はできるだけつながりで実現した方が良いという考え方ですね。私が「キーワード」という言葉で表現したかったのは、その辺のニュアンスだろうと事後的に考えたりしています。
ただし、「情報が取り出せるという安心感」を与えるタグが有効な例があって、それが固有名詞です(#182)。これは対象となる情報の意味を表すわけではないですけど、インデックスとしてはとてもうまく機能します。
こうやって書くと、タグとつながりの使い分けってかなり敷居の高いものだという印象を与えかねませんよね。この敷居を越えるだけの価値があるとは思っているのですが、、、
この問題はもっと時間をかけないと分からない部分も多いかもしれません。データの量とか、種類、目的、利用環境など、いろいろな要因があります。例えば、Piggydb.jpの場合は文脈を知らない閲覧者についてもある程度考慮する必要が出てきます。